私が裁判員になったら - ぶつくさブログ

2010年11月02日

私が裁判員になったら



耳かき店に勤務の女性と、その祖母が殺害された事件。

おおかたの予想に反して、出た判決は『無期懲役』。

この事件は、裁判員制度初の死刑判決が出る可能性がある事件として注目されたが、
この判決には驚いた。


まあ確かに、裁判員の立場からすれば、死刑判決をした責任は負いたくないだろう。
でもそれは、あくまでも一般としての考え。
裁判員は、裁判員という立場があるのだ。
この事件で死刑と判決されないなら、何をもって死刑になるというんだろう・・・。

とはいえ、自分が裁判員になったら?

想像はできない。だけど、何の罪もない人が、被告の身勝手な思いで二人も亡くなっているのだ。
被告のその時の感情など、いろいろ考えなければいけないこともあるだろう。
女の子の営業トークを真に受けて、本気になってしまい、それを裏切られたと思った気持ち。
絶望、そして怒り、憎しみ。
それはもちろん、分からなくはない。
だけど、だからと言って殺していいわけではない。


『何の罪もない人が二人殺されている』


これだけは、忘れてはいけないことだと思う。





講師になって2年目。とうとう本格的な風邪をひいてしまった・・・。
昨日の授業が終わった辺りから喉がおかしくなり、帰宅するころにはもう声が変わり果てていたふらふら
今日1日休みがあるので、今のうちに治しておかないとと思い、薬を買って飲んでいるところ。

今日は寝るぞ夜






タグ:裁判員
posted by うり at 09:01| Comment(12) | TrackBack(0) | ニュースに一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この事件は専門家なら求刑で無期を出したと思います。今回は、≪裁判員の判断の幅を狭めない為≫ にあえて死刑「求刑」を出し、無期「判決」としたのでしょう。理屈ではそうなります。

でも理屈では割り切れない部分がある。法律はそれとは関係なく出されなければ、裁判の意味もなくなってしまう…。よく一般の方が、遺族の気持ちを考えたら…、と言うのは感情的には勿論わかるけど、国家は個人の応報感情を満たす為に在るのではないんですよね…。だから今回の事案でいえば、計画性がない、金目的の殺人でない、殺害された人数や被告の犯罪歴などなどで求刑も無期が妥当とみる人が多かったと思います。けれど裁判員裁判なので求刑で死刑を出した。

人間が人間を裁く、本来はそこに無理があるのだけど、どこの国にも法律があり、それは国によって、時代によって変わる流動的なもの。すごく難しい問題です。遺族側は、必ず自分が納得する(できる)理由を求めます。それが自殺であれ、事故、天災、病気であれ…。納得できなければ真実ではないと言い続け何らかの活動をする人もいるし、失われた、という事実を受け入れ静かに暮らす人もいる、どちらが正しいとか情愛があるとは言えません。一時騒いで噂するだけの世間なんてそんな時、何もならない。同じ事件の遺族でもそれぞれの人生観などがあるので、死刑にしろという人もいれば、それは嫌だという人も、犯人がどうなろうとどうでもいい、という人もいる。時の経過によって変化する人もたくさんいる。

だから、当事者でない場合、死刑がよかった、いや駄目だ、とかいうのはどうなのか…という思いがあります。

そして市民の考えと国家の考え、は別のところにある。国家、そこに関わる人間は国家の維持、社会秩序を考えるのであって、個人の怒りや恨みの為に働いているのではない、何故、現在の日本に死刑があるかといえば、国民の意見とは関係なく、国家としての見せしめ要素が強いわけです。これはよその国でもそうで、感情ではなく理屈。

死刑存置・廃止の意見、ともに言い分がありますが、その前に国民は死刑がどういうものか(どれだけの、どういう人々が関わっているのか、何を基準に執行がなされるのか等々)というのが知らされていない。

それは、『国家のおこなう事は正しいから国民は知らなくてもいいのだ』という考えが国家にはあるからです。その考えも時代によって変化していく。絶対的に正しいものはなく、答えは出せないから。

 でも人間は、ものに名前をつける事からはじまって、答えを出して、納得する。でも全てのものを言語化したとして、それが真実、なのでしょうか? 言語では言い尽くせないものにこそ、苦悩や、葛藤、罪悪感などがあるのではないでしょうか…。

人間は何にでも答えを出したがるのですが、実は、単純化できるものなんかない、単純化して納得しているだけなのかもしれないと秋の夜長に思うのでした。
Posted by みけ at 2010年11月02日 20:00
 職業に貴賎はないと云へり。しかし格調の違いはある。こう言っては遺族側に怒られるかもしれないけど、まだ職業の選びかたというものがあったのではないかなあ、と思ったりするのです。おたくの心をもてあそぶ商売であったということはうり様もご承知で、殺される理由にはもちろんなりませんが、しかしそれにしてもお大事に。風邪は万病の元と申します。
Posted by ukt at 2010年11月02日 23:51
「一週間分のビタミンですね」
http://www.house-wf.co.jp/cm/1009_1vita02.htm
を思い出しました。これがストーカー事件、殺人にまで発展したらさすがに犯人には同情できません。
Posted by ukt at 2010年11月03日 20:41
みけさん

そうですか、さすが専門家ならではのご意見、丁寧にありがとうございました。
私はこの事件に関しては当然「死刑」だと思っていたので、そういう事情もあるんだと初めて知りました。

無期なら、無期でもいいと思うんです。本当に『無期』でもう出られないなら・・・。
でも、無期は真面目にやっていると短い期間で出られると聞きます。
そのあたりが、引っかかっている人も多いんじゃないかなあ・・・。

どこかの国みたいに懲役300年とか。でもそれもまた問題か・・・。

考えれば考えるほど分からなくなりますね(^_^;)
Posted by うり at 2010年11月03日 23:30
uktさん

そうですね、二人の間でどういうやり取りがあったのか、
「そりゃ勘違いもするよなあ」なのか、
「それで勘違いしちゃったの?」なのか・・・。

でも、こちら側は傷つけないように遠まわしに断ったとしても、
思い込みが強い相手には伝わらなかったり、逆に変に勘違いを
されることもあるしね・・・。

何の罪もない被害者の女の子だけど、男心の怖さを不幸な形で
知ってしまったのが残念です。


「1週間のビタミン」(^_^;)
ああでも、そりゃないわと言いきれないのが怖いわ。



あ、それととうとう声が殆ど出なくなりました・・・。
でも授業休めない・・・(/_;)
ご心配ありがとうございました。
Posted by うり at 2010年11月03日 23:38
>uktさん

1週間のビタミンw こんなのあったんだ。マクドのスマイル0円も大丈夫なのか気になってしまった…。

需要があるから供給がある…ので職業には貴賎はないけど、それを見る人の心(偏見)がありますね。

で、「被害者になりやすいリスク」というのはやはりあって、職業でいえば不特定多数の人と関わる仕事、水商売もリスクが高くなります。あとは有名人で、こちらは相手を知らないけど、相手はこちらを知っているような…。

あとは職業に関係なく、夜間・深夜等に、特に一人で歩く、派手な服装で盛り場へ行くというのもリスキーになる。親が子供の服装や出かける場所、どんな友達か等を気にするのは、犯罪学とは関係なく、それらが危ないものと知ってるからだと思います。

でも、どれだけ気をつけていても犯罪に巻き込まれる時はそうなってしまう。犯人を捕まえて処罰しても、世の中から犯罪はなくならない。いかにリスクを避けるか、という事しかないような気がします…。

>うりさん

懲役2850年と3回の終身刑とか、何か響きがユーモラスで困るんですよね(ーー;)。

日本の無期懲役は語感から、ずっと服役してるイメージがありますね。最近は模範囚でも釈放されない人が多くなっていますが、個々のケースがあるので一言でいえません。判決で無期と死刑は裁判官の恣意的判断で決まるけど、結果は大違いです。裁判官はこの、絶対的正義のない世界で人間でありながら神を「演じる」という事をやっているので精神的な負担は計り知れない。それを市民感覚の名の下に国民にやらせるというのはどうなのかとやっぱり思うのです。

公的文書で、こういう動機で事件が起こってこの判決を…となるとそれが「事実」という事になりますが、実際は違うとか正直いくらでもあります。そして世間で報道される事件はごくごく一部…。

テレビや雑誌向けに事件は単純化・消費され、結局、事件について思いをめぐらし、考え続けるのは遺族と死刑囚だけに最後にはなります。だから、死刑を望み続けていた遺族が、執行された後に自身の思いもよらず、生きる気力を無くす事もよくある。それを外から見て、死刑でよかったねとか誰にも言えないと思うんです…。

あとは被害者、遺族の会の活動などに打ち込みすぎて、残った家族との関係が破綻する人もいるし、組織だから中ではいじめも、利権関係もいっぱいある。そういう多くのの矛盾を抱えて、それでも納得をし続けていきたいのが人間なのかなと、思ったりもします。
Posted by みけ at 2010年11月06日 12:37
とてもよく分かります。

裁判員制度は、私はやってみたいと思うけど、もちろんそんな人ばかりではない。
私はそもそも、こういった実録ものを日頃から読んでいたりして
普通の人よりは耐性があるのではと思ってる。
だけど、実際に裁判員になったら・・・?また違うんだろうなという気持ちもあります。

死刑を望み続けた遺族が生きる気力をなくす、被害者・遺族の会・・・これもまたなんとなく分かります。
山口光市の母子殺人のご主人、こんな事件が起こらなければ本当に普通のパパだったんだろうなと思うし、地下鉄サリン事件の被害者となった車掌さん(?)の奥様、TVで拝見するたびに垢抜けて行く様子・・・他にもキリがありませんが、そういう遺族の姿を見て、事件に巻き込まれることはこんなにもいろいろな人の人生を変えてしまうんだなあと思います。
Posted by うり at 2010年11月08日 08:06
そうですね、遺族にならなければそうした活動を行う事は無かったんですよね。光市の方のは、少年法の壁もあったし…。

ご遺族の気持ち、感情の表し方というのは人それぞれだと思うけど、マスコミは「被害者遺族はこうあるべき」、というイメージを作り、世間もその単純化された姿以外は認めないような雰囲気がありますね。無関係の人が、感情的に当事者に対してああしろこうしろいうのが、何でかなと私は思ってしまうので…。

あと、子供が学校でいじめに遭って自殺、いじめた相手の子供達は普通に進学して…とか、先日も小学生男児が交通事故で亡くなったけど多分2年も交通刑務所にいかないのでは、とか。未解決事件もあるし。殺人でも傷害致死やもっと軽い罪状でしか起訴できなかったりとか。
事件遺族の人が、事故や自殺、病気でなら仕方がないけど…と言ってるのを聞いて、何かひっかかってしまった。もちろん悪気で言ってるのじゃないのはわかるけど…。

ただ、どんな事でも全ての人を納得させるとか、皆にわかってもらうというのはできないですよね…。そして最後は自分、個人で、どこかで納得するしかない。心の傷は消えないけど、それをむきだしにして生きていくか、表面の影を振り払って生きていくか、それを選択する事はできる。それしかないのかなと思ったりもします。
Posted by みけ at 2010年11月13日 17:26
>「被害者遺族はこうあるべき」

そうですね、ひどくなると、「いつも悲しんでなければいけない」
「いつも被害者のことを考えてなければいけない」そんな感じがしますね。
仮に、光市の被害者ご主人が再婚したということになったら意味なく非難されそうで・・・。

これって、障害者=純粋みたいなイメージと同じなのかな・・・?
Posted by うり at 2010年11月15日 08:27
人それぞれで、それを当事者でない人が「こうあるべき」とか言うのは…。酷い事件の遺族で色々な事に耐えて、その感情を抑えて生きている人に、実際に「よく平気で生きているな」とか、被告を恨み続けてる人生はいやだ、とか言遺族がいると、「きれい事を言うな!」なんて言う人が必ずいるんですよね。それとかネットでこれが犯人の親だ、という誤報を元にその人の会社に文句の電話入れたりするような人がいたり。

やっぱりそれってテレビの影響が大きいと思います。放送するにはとにかく単純化しなくてはいけないから「遺族の形」を作ってそこに沿う風に台本を作る。だから当事者になってしまった人、被害者でも加害者でもテレビや週刊誌なんか見なくなった、という人が多い。どんな嘘を作られても反論できませんから…。

押尾事件の裁判員になった人が、外でたまたま「あいつは極悪人だね」と言ってる人を見かけ、ふきだして笑ってしまったそうです。テレビのイメージだけで言っているんだな、と。善人でないかもしれないけど極悪人というイメージとはかけ離れていたのでしょう。世間全体で見れば、事件を起こした人を全て極悪人とみれば自分とは違うんだ、と安心する事ができます。そして関係ないところから、例えばネットで実際には全く知らない人を賞賛したり中傷したりする精神遊戯はやっぱり楽しいと…。芸能人ならそれも有名税かもしれません。でも一般の人は違いますよね…、だけどテレビで流れてしまえば見てる側からしたら同じようなものになってしまう。
Posted by みけ at 2010年11月19日 20:21
そうなんですよねー。
でも、ネットの書き込みとか見てると本気で「こうあるべき」だって書き込んでいる意見があるとねー・・・。
もちろん、それに対して殆どの人は「そうじゃない」って反論していたけど、そういう意見ってあるんだなあと。

何にしても、人目に晒されるってことは何らかの意見や感想も浴びるってことなんだなあと・・・講師になって人前で話すようになって心から感じています。
Posted by うり at 2010年11月21日 08:21
情報過多になり過ぎて、かえってわからなくなる事もあるのでしょうね。いわゆるテンプレができてしまってて、それを元に批判、というのが多い…、そして毎日あらゆる「ネタ」がくる。はっきり言って不平不満って思考停止と同じですよ。そしてネットってやりだすとキリがない。同じ意見の人達とだけやりあっていると気持ちがいいし、つながっているという幻想もできる。でも個々の人生は有限で、自分がネットの中から出て行ってもネット世界は何も変わらない。もちろんリアルで何か言っても変わらないんだけど、はまるのはネットの方だろうし、何か問題があって、それについて語っていれば対処しているような気にもなるんだけど、それでどうなると個人的には思います。

でも、どんな事でも結局当事者にならなければわからない。無関係な立場で是非を決めたり、相手にこうしろという事も出来ないし、やるべきでないんです。見てるだけであれこれ言うのは本当に簡単だけど実際は…。ひとごとだから言えるだけだと思います。政治でも、評論家や市民が机上でああすべき、こうすればいいんだ!と簡単に言うけど、そういう人達の言う通りにしたら国はどうなるのというのばかり。国のトップなんて誰がやっても叩かれるし、近年の政治家のバカのされよう(偏執的な賞賛の場合も含む)はヒステリーというか異常ですね。こういうのは変な街頭インタビューとか評論家の適当な意見を垂れ流してるテレビの影響が大きいんじゃないのかなあ。
Posted by みけ at 2010年11月27日 14:43
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