2010年11月06日

桜舞いすぎ、瞳閉じすぎなJ-POP

面白いサービスがあるらしい。

携帯電話向け歌詞検索サイト「JOYSOUND 歌詞」では、最近のJ-POPに似たようなフレーズが
あるということで、それらの歌詞がどの程度含まれているかを探せるらしい。

そこで挙げられているフレーズは以下の通り。

「つばさひろげ」「さくら まう」「わたし よわい」「ひとみ とじて」

特に、「翼広げ」については、アルフィーガ4曲検索されているらしい。


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/01/news064.html


このニュースを受けて、ヤフーニュースでのコメントが面白かったのだが・・・。


中でも多かったのは「西野カナ」の歌詞。

『君に会いたすぎ』らしい。







私はこの西野カナの曲はちゃんと聞いたことがないのだが、
ひらがなばっかりの歌詞っぽいなあとは思っていた。


そもそも、ここ何年かの歌詞で、恋愛ソングがつまらないと感じていたのも事実。
大塚愛にしても、aikoにしても、倖田來未にしても、みんな好き好き愛してるのオンパレード。
何の捻りもない。
そのフレーズを聞いて、それ以上に深く考えることがあまりない気がする。

私の苦手な応援ソングにしても、GREEEENの歌詞なんかは童謡っぽいし。

直球で分かりやすいと言えばそうなんだけど、あまりにも平べったすぎでしょう。



他にも、いろいろと面白いコメントがあったのだが、秀逸なのを。


自称ラッパーは「マジで感謝」しすぎ

胸の鼓動高鳴りすぎ
夢への扉開きすぎ

出会えた事を奇跡にしすぎ


思いを伝える代わりに、心象風景や情景に例えたり・・・ということがない。
好きなら好き。それだけ。


そう思ったら、やっぱり松本隆ってスゲーと改めて尊敬しなおしたりした。

後はまあ、好みもあるけど私は今好きなサカナクション、スパイラルライフ、
スーパーカーのような一見聞くとよく分からないけど、耳触りのいい歌詞は
好きだなあ・・・。


後は、最近またYoutubeとかで大江千里とかKANの曲を聴いてるとやっぱいいるんるん
と改めて。

TMは大好きだったけど、小室哲哉の歌詞になると日本語が破綻してしまっているからなあ・・・。
紡ぎだしている風景はよかったけど、それを伝える語彙を持っていない感じ。


最近ではスガシカオ、またCoccoを聞きなおしているけど、
とりあえずCoccoは・・・・『求めすぎ』あせあせ(飛び散る汗)
でも、癒される声です。ホント。



タグ:J-POP

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posted by うり at 11:00 | Comment(12) | TrackBack(0) | ミーハーネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今のJ−POPってたしかに歌詞が直截的になり過ぎですね。コンビニでかかってるようなのとか特にw 日本語ラップも感謝しすぎとか確かにその通りで笑えます。

でも受け手の感覚もそれだけ平坦になってるのかと。職人が家族の為に自分の道具を質に出さなければいけないとかいう葛藤や、顔では笑っているけど心では泣いているとかいうのを誰も読み取ってくれない。だから皆が、こんなに辛いんですとか私は可哀相なんですと大声で言うようになってる。何かが辛いとか楽しいというのも、「そう思っている私を見てほしい」という感じになってきてる気がするんですよね…。自意識過剰になる過ぎると、色々単純化していくのかなと思ったりして。
Posted by みけ at 2010年11月06日 12:46
そうですね、もちろん、受け手の問題もあると思います。
直接的表現は「共感できる」ってことに繋がりやすいけど、
そんなに共感ばかりしたいもんかなあともね。

私はできれば、アーティストの表現力でもって自分では気付かなかった場所に連れて行ってくれる感覚が好きかなあ・・・。
Posted by うり at 2010年11月08日 08:08
ちょい久しです。
歌詞、あたしゃ逆に、今良いんじゃないかと思う。
一昔前、小室さん系統が(爆)流行ってた頃の歌詞って
もっとひどかったと思う。
バンプ・オブ・チキンとかくるりとか、
うりさんもあげてるサカナクションとか、すごいと思いますよ。
ああーでも直球派はより直球に、変化球派はより変化球に
なってる気もしますけど。。。
Posted by テリー横田 at 2010年11月12日 18:47
直球派といえば冠二郎もなかなかのものでした。前に上司の車でかかっていた「ムサシ」と「炎」があまりに薄っぺらだったので、たまたまついていたFMラジオだと思って正直な感想を言ったら、CDでした。
Posted by ukt at 2010年11月12日 22:05
テリーさん

おひさです〜^^

小室哲哉の歌詞は、本当に・・・破綻してましたからねえ〜(^_^;)
TMファンだったころから、この表現は何とかならんものかと
思ってました。
名曲と言われる安室ちゃんの「CAN YOU CELEBRATE?」もすごい歌詞ですからねー・・・。

バンプもくるりも好きですね♪
ただ本当に彼らは変化球だなと思いますけど。
特にサカナクションは変化球を超えた魔球かも。

直球でもありかあ・・・。まあ確かに、需要はあるだろうしなあ〜(^_^;)
Posted by うり at 2010年11月12日 22:13
uktさん

早速歌詞を調べました。
これはまた・・・・


この曲を上司の車で聞いたuktさんのリアクションも、想像するだけで気の毒です・・・(^_^;)
しかも、CDだと分かった後の車内に流れる空気。

いろいろと考えちゃいますね(苦笑)
その後、上司との関係はいかがですか??

Posted by うり at 2010年11月12日 22:18
共感できる、こういうの、あるある〜というのがニーズ多いのかな?歌詞でこういう表現の仕方、考え方もあるのかとか感じるのもいいですよね。

デビー・ギブソンがJ−POPカバーアルバムを出しました ttp://www.debbie-gibson.jp/ 『ミス・ヴォーカリスト』とわかり易いタイトル…。日本のみの発売だけどボーナストラック収録というのがちょっとよくわからないけど日本の人のアルバムでもボートラとかいいますか。この中に、「世界中の誰よりずっと」があるけどデビー曰く、これは特に歌詞を英語に置き換えるのが難しかった、そうです。語感が違うしそうなれば曲調も変わりますからね。彼女は優れたシンガーソングライターだし、編曲とかもしててくれてたら聴いてみたいです。
Posted by みけ at 2010年11月13日 17:35
すみません、「世界中の誰よりきっと」でした。しかしこのカバーアルバムの選曲は個人的には残念な感じ…。
Posted by 訂正・・・ at 2010年11月13日 17:51
そうそう、どうも共感ソングが受けてるみたいです。
私はあまりそういうのがないからなあ〜。
余計に理解できないかも。

カバーアルバムの選曲、みました。
誰が選曲したのか?かなりベタですね〜。
それがいいのかもだけど・・・やっぱり残念かも。

というか、最近カバー多いですね。
新しい曲より、昔の曲を聴きたい人が多いのかなあ・・・?
Posted by うり at 2010年11月15日 20:08
カバーって、間口が広いのでは…。例えばこの場合、デビーを知らない人でも、原曲が好きだから聴いてみたい、という人はけっこういるかも、そこから彼女のオリジナルアルバムを欲しくなるかもしれない…とか。デビーのファンはオリジナル作品を聴きたいだろうけど、そこまでではない人は、こうしたカバー集やグレイテスト・ヒッツの方が手を出しやすいですよね。

しかし以前だったら、こうした邦楽を英語でカバーするというようなのは、日本に住んでる特に有名ではない英語のできるシンガーとかだったのが、デビー・ギブソンとかエリック・マーティンとかすごい事になってるなあ。

共感する!というのが宣伝でもよく強調されますよね。そんなに共感したり、皆で理解しないといけない事ってあるのかなあ…と思います。何というか、情報過多になり過ぎて、物事を単純化して同調を求めるような雰囲気って個人的には好きではないです。自分と考え方が似ている、同じ意見=正しい、ではないですよね…。
Posted by みけ at 2010年11月19日 19:59
なるほど^^
カバー曲を聴いてもらうことで間口が広がるのはありますね。

ただ、ファンからすれば何となく手抜きチックな感じがするんですよねー(^_^;)
前にスガシカオのライブに行った時に、スガシカオが何気にカバーやベストアルバムばかり出すアーティストのことを揶揄してたことに共感が持てました^^

かく言う彼は、変化し続けているために元のファンの批判を浴びてるようですけどね・・・。
表現者って大変ですね。

そうそう、共感って私もあまりしたいとは思わないなあ。
個々の考え方があって、それを共有したいとは思わないしね。
Posted by うり at 2010年11月21日 08:16
カバーって安易なのも多いですよね。確かに安全パイというか、ファン層を広げるのに良いとかあるとは思う。でもアレンジ、編曲がすごいとかこのシンガーが歌って別の素晴らしさが出たとかいうのは好きです。ホイットニーの「I will always love you」、ご存知だと思いますが、あれは70年代のカントリーがオリジナルなのです。それを20年後くらいにホイットニーがカバーして、より多くの人に知られたのではと思います。バラード調にアレンジして、そしいてホイットニーが歌い上げる…。映画『ボディーガード』にもぴったりな感じだったなあ。

あとスタンダードは、様々なジャンルで編曲などなどされ、さらに広がっていくというのもあると思います(コスマの「枯葉」、ピアフの「バラ色の人生」などなど)。

変化って、冒険ですよね。ファンがついてきてくれないかもしれないし、人気もなくなるかもしれない。でもアーティストとしてやりたい、というのがある。商業の世界では難しいんだろうな。ファンも変わらない、というのを期待してノスタルジーに浸るところがあるかと思うし…。

デヴィッド・ボウイなんか毎度変わり過ぎなんだけど、あれは芸術家としての「圧倒的な個性」があるからできる事なんだろうなと。で、当事酷評されたりしても30年位してやっぱり凄かった、と言われている。そして世界を相手に今も変わり続けているというのは、本人の創造性とか、ようは才能なんだろうなと思ってしまう。

だから、この作品は好きだけどこれは嫌いとか、この時代のボウイは大嫌いとか色々言われる。でも表現して残っていく作品が全てなんですよね。そして各作品の評価もひとそれぞれで全く違っている。それでいいと思うんです。

スガシカオexファンの人もその時の批判じゃなくて、長い目で見てくれたらいいのに、創作と商業の兼ね合いについても考えてしまいました。
Posted by みけ at 2010年11月27日 14:24
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