2011年12月11日

なんで母、母ってあんなに言うんじゃろ。お母さんはそれが理解できんわ。

いろいろな家族形態があると思うが、私の両親との親子関係はどちらかというと
かなり冷めているんだろうなと、常々そう思っていた。

旅行に行ったからと言って土産は買わないし、誕生日プレゼントなんかもしない。
してもせいぜい母の日、父の日くらいでそれさえも忘れることもある。
お互いに話をするのは気が付いたら2ケ月何も話していないこともあるし・・・。

それに、もしかしたら、私は両親が亡くなるようなことがあっても
泣かないかもしれない、なんて思っていたのだ。

そんな中、久々に実家に帰ってご飯を食べていると、施設に入っている
祖母の話になった。

うちの母方の祖母は90歳を超えて、今は施設に入っている。
100歳を超える祖父もまだ元気で、なんと自分の家で1人で暮らしているのだ。

本来は、その両親の面倒をうちの母も見るべきなのかもしれないが、母の兄の家族と
ちょっとしたトラブルがあり絶縁状態となり2年になるのだ。
それでも、施設に行こうと思えば行けない状況にあるのだが、なんと母は
私と祖母の施設に行ってから一度も行っていないと言うたらーっ(汗)

「それ、気にならないの?」と聞くと
「もうええんじゃ。何かあったら連絡が来るかどうかわからんけど」とバッサリ。
私が目を丸くしていると

「よく、テレビで母が母がって言うじゃろ。なんで母、母ってあんなに言うんじゃろ。
お母さんはそれが理解できんわ。母じゃからってなんじゃって言うん」

と一言。

実は私も全くの同意見であった。
マスコミや世間一般の、特に母親崇拝はスゴイ。
なんか、母親に感謝を常にし続けるのが当然、という空気がはびこっている気がする。



それを聞いていた父が言った。

「わしも、ばーさん(父方の祖母)が施設に入った時、最初は話ができたから行ったけど、
こっちのことが分からなくなってからはもう、行きたくなかったし見たくなかった。
こんなこと言ったらいけんのんじゃろうけど、割とうちの親族もみんなそんな感じだったしなあ」

父方の祖母は私が覚えている限りでは背が高く大柄で、家中を仕切るシャキシャキした女性だった。
それが、祖父が亡くなり、しばらくして普通に生活ができなくなり施設に入ってからの
祖母の衰えぶりは本当にあっという間だった。
息子である父からすれば、確かにそんな姿は見たくなかっただろうなと理解できる。


昔から、うちの母の持論はこうだ。

「母に感謝とか親に感謝、育ててくれてありがとう、とか言うけど、そんなのは
当たり前じゃ。親なんだから」

私もその言葉を聞いて育ったせいか、特に改めて親に感謝することはなかった。
感謝していないと言うと嘘になるけど、私も含め親なので、「でもそんなん、当たり前だし」
と同時に思ってしまうことも確か。

そう思える私は多分、恵まれているのだろうと思うけど、どうにもこの家族に対する
フラットな気分は変わりそうもないし、きっと変わらないだろう。
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posted by うり at 20:29 | Comment(12) | TrackBack(0) | 今日の名言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「母に感謝とか親に感謝、育ててくれてありがとう、とか言うけど、そんなのは
当たり前じゃ。親なんだから」

なんだか凄く当たり前の真理をすぱっと言い切ってしまえるうりさんのお母さんは凄い!!

と、思いました。

でも・・・よくよく考えてみれば、私の母親も同じかもしれない。(笑)




素敵なことばをありがとうございました。
Posted by riamn at 2011年12月11日 21:05
マスコミの「家族の絆」信仰ってちょっと気味悪いですね。家族が大事なのは当然だろうけど、そうでない人もいるだろうし、そこは色々としかいいようがない。それを笑顔の暴力みたいに押し付ける感覚がわからないですね。震災でもやたらそれを強調するんだけど、もともと天涯孤独の人もいるだろうし、震災でそうなった人もいる。

避難所で生まれた赤ちゃんを喜ぶ記事が、大きな写真付で全面に載ったりしたのも違和感を感じた。あと3月11日に生まれた赤ちゃんの顔写真を全国紙にたくさん載せたりとか。

避難所にいる方たちには色んな思いもあるだろうに、「幸せ」という価値観はこれだ! と押し付けてる気がします。震災で子供を失った親だったら、感情的にはよそに子供が生まれたとかいうのは聞きたくない、理屈では解っていても見たくないとかあるだろうな。

あと日本の人は「奇跡的」を簡単に使いすぎるのも気になります。

「忘れない…」 というのも、どんな悲惨な事も、基本的には当事者以外は忘れていくし、それを、忘れないで! と押し付ける事もできない。亡くなった人がどんなに良い人でも、それを世界中の人に伝えて、自分と同じように悲しんでくれ、と言う事もできない。そしてそうやって、みんなに悲しんで、悔やんでもらって何になるのかとつい思ってしまいます。

悲しみって、個人的なものなんですよね。
Posted by みけ at 2011年12月12日 20:37
riamnさん

うちの母は、自分の親に幻滅をしているところがあるから、何も親に求めてないんですよね。
そこに通じているのかもしれないです(^_^;)

みけさん

>「家族の絆」信仰
そうですね、まさにそれです!
なんか、いつも家族に感謝したり思っていないといけないような雰囲気がなんかね・・・。
本当に、いろんな家庭があるから、両親揃っているから幸せかというとそんなことはないし、その逆もないですね。

震災のことも、「忘れない」というフレーズがよく使われてますけど、それでいいのかどうなのか・・・。実際に被害に遭った人は忘れたいと思うんじゃないかと・・・。
「忘れない」のはあくまでも歴史的見解であって、個人的には辛いことですからねえ・・・。
Posted by うり at 2011年12月13日 08:09
絆って大事だよねと、言いながら、人は互いを罵ったり互いを忌み嫌ったりするわけですよね。
家族の間ではそれは当たり前。
兄妹の間でさえそうですから・・・(笑)
日々・・・喧騒と葛藤と煩悶の中で生活しながら互いを抑制することで家族の絆が成立する。
そう考えると、絆ってあくまでも前提のような気がするんですよ。誰もが前提として理解している。でも普段は決してそれを振りかざしたりはしない。
何故なら、生きていくうえでの必然だからです。
それを殊更に強調する風潮に馴染めない自分も確かに存在するのかもしれない。(笑)
互いに口には出さない暗黙の了解の下に家族の絆は成立しているんですよね。
幸せの価値観なんて十人十色。
他者が決めるべきことではない。
ましてやメディアが促すことでもない。
震災を機に結婚願望が改めて強まった人がいる一方で、双方の価値観の相違を実感して離婚を決意した人もいる。
震災の中で失われた命がある一方で新たに生まれた命もある。
それも生活という営みが齎す必然。
そう考えれば、奇跡でもなんでもなく当たり前のこと。
それ自体が生きている証ですものね。

嫌なことや辛いことを忘れようとするのも人間が生きていく上での防衛本能かもしれない。辛いことや悲しいことを引き摺っていたら明日への扉は開いてくれないから。
メディアは震災の記憶がどんどん風化していくことへの危機感を訴えていますけど、それも必然なんだろうと思います。当たり前の日常が再び始まっただけだから。

それでも僕はこう思います。

この世に確かなことなど一つも無い。
全ては予め失われる必然を背負って存在する。
もしも確かなことがひとつだけあるとすれば、それは必ず終わりがあるということ。
終わりに向かって生きているということ。

それさえ忘れなければいいのではないでしょうか。

この瞬間を出来るだけ濃密に記憶していたい。

この瞬間を出来るだけ誰かと共有していたい。

この瞬間を出来るだけ忘れないようにしたい。


それが生きるということなんじゃないかと思います。


それにしても・・・

絆につっこみっ!!奇跡につっこみっ!!


そして、そんなふうに同じ価値観を共有しろ!!と強要する世の中につっこみっ!!


つくづく素直になれない自分に納得!?(笑)
Posted by riamn at 2011年12月13日 20:31
でも、自分の日記にはこう書いています。

「ひとつだけ確かなことがあるとしたら、いまこの瞬間も私たちは生かされているというとてつもない奇跡だ」と。

きっちり云ってんじゃねえか!!って、つっこんどいてねっ。

日記にはそう書いておこう!!って、昔流行った記憶がある。(笑)
Posted by riamn at 2011年12月13日 22:10
riamnさん

「絆」が今年の漢字なんですよね。

まあ、それも分からないことはないですけど、
あえて言うならちょっと綺麗にまとまりすぎてるかなあ、なんて思っちゃうんですよね〜(^_^;)

そして思えば、被災していない側が「頑張れ」「負けるな」と言い始めたのも早かった気がして・・・。

この年末、去年の今頃はまさかこんなことになってるなんて思わなかっただろうなと色々考えちゃいますね。
Posted by うり at 2011年12月16日 21:10
絆というか同調圧力なんでしょうね。昔から日本はそれが極端に強いといわれてるけど確かにそう思います。例えば外国に行った時に、そこがどこであれ服や物の流行に気がつく事はないんだけど、日本は皆同じタイプの服を着て物を持っているから、それとは違う感じでいるのは遅れてるんじゃないか、いけないんじゃないか、と思わされそうになるんですね。このデザインは恥ずかしいとかいうのが自分の趣味によってではなく、周りの雰囲気によってそう思うようになる。

「震災があってから家族の大事さがわかった」とかいうのも、本当にそう思うならそれまでどう思っていたんだとか。

そして、本当に悲惨な目に遭った時に、正直そんな綺麗事言っていられるのかな。震災に限らず、家族や大切な人を亡くした方に、「絆の大切さ」、「乗り越えて未来に向かって」、「大丈夫だから頑張って」とか無責任なことを言うのは大きなお世話だと思うんですよね。それで何も言わないと関係ない人から冷たいとか言われるんだろうかとか思うとめんどくさいです。

楽しい幸せな家族、というイメージを作って押し付けるのもね…。いかにもマスコミ臭いけど、ほんとメディアってのは変わらないです。言ってる事がいつも同じ。その場、そう言っとけばいいやくらいにしか思ってないんじゃないでしょうか。
Posted by みけ at 2011年12月24日 16:55
そうですね。
本当の意味での視野を広げたいと思うなら、小さい頃から世界中を放浪することを義務付けるしかないかもしれません。

自分と違う価値観に触れることで改めてわかることが一杯あるはずですから。

人と人が本音で向き合うことの大切さもわかるでしょう。

違いを認め合うことで初めて互いが理解しあえるのだという、人生の本質に触れる機会も増えるでしょう。

押し付けるのではなく、相手の考えに寄り添うことで全く違う景色が見えてくることにも気付くでしょう。


物理的にそれが無理な人は、本を読み、新聞を読み、様々なアートに触れて、色々な人の話に耳を傾けることで、人生が塗り変わる瞬間に出会えるはずだと思います。


嘗ての我が国に置いては、物事の本質に触れる機会が当たり前に普段の生活の中に息づいていたのですよね。
近所のおじさん、おばさん、隣のお兄ちゃん、お姉ちゃん・・・

そしてそれを人は絆と呼ぶのですよね。

(笑)
Posted by riamn at 2011年12月24日 18:26
みけさん

みけさんのコメントに苦笑しつつ(^_^;)

>このデザインは恥ずかしいとかいうのが自分の趣味によってではなく、周りの雰囲気によってそう思うようになる。

これは私も含まれます(^_^;)
そうそう、自分の好きなデザインではなく、今中心となっているデザインから自分の好みを選ぶようになっています。
これもマスコミ操作みたいなもんですよね〜

>「震災があってから家族の大事さがわかった」とかいうのも、本当にそう思うならそれまでどう思っていたんだとか。

同感です!
そりゃ、いつも目に見えるような感謝はしないしありがたみは感じないかもだけど、わざわざ言わないそういう気持ちで自分が大切な人たちと繋がっていると思うんだけど。
まあ、予期せぬ震災で、朝普通に挨拶した人と二度と会えなくなる可能性もあるって思い知らされたけどね・・・。

>その場、そう言っとけばいいやくらいにしか思ってないんじゃないでしょうか。

そう思いますね。言ってることと思っていることが実はかけ離れているから、東海テレビ(でしたっけ)の誤ったテロップが流されることになるのでは。
まあ、あれはあれでどんだけ歪んでるんだと思うんですけど、あれも震災報道が続いて
「もう津波映像はいいよ」と内心思っていても
テロップではそれこそ「絆の大切さ」「乗り越えて未来に向かって」なんてことを書かなければいけない。
そういうギャップも報道する側も持ってるって知らされましたよね・・・。
Posted by うり at 2011年12月26日 07:40
riamnさん

遅ればせながら、メリークリスマス!
どう過ごされましたか?
私はいつも通りの日でしたケド(^_^;)

そうそう、絆、絆というけど、
そういうものはわざわざ言わないでいいところにあって、riamnさんのおっしゃる通り
普通の生活に気づかないけど根付いているものだと・・・そう思います。

口に出すと途端に偽善っぽくなる気がして・・・。
テレビ的には仕方がないかもですけどねー。
これから年末に向かって死ぬほど聞きそうな言葉ですね・・・。
Posted by うり at 2011年12月26日 07:45
>うりさん

新聞のコラムだったかで、被災者を励まそう!みたいなのがあって、≪初対面の方でも、抱きしめて、「生きていてくれてありがとう」と言ってあげてください≫とか書かれていて何となく…。それとか普段そんな事何も言わない芸能人とかが急に絆とか言い出したのも違和感でしたね。最初のうちだけ、それもテレビに映る時だけ被災地、それも早くに復旧したところだけに行ってそこで自分の出るミュージカルや本の宣伝したりとか。

こうなってわかった、というのはある程度あるのは当然だけど、それで日本人全体が『絆』で結ばれた…みたいなのは単なる全体主義国家みたいで。気持ち悪いです。それの極端な姿が北朝鮮みたいなものでは…。向こうはそのムラ的圧力によって脅され、内心では色々思うところありながら号泣の演技をしてたりするわけですけどね。そんなのを命がけでさせられている。

>riamnさん

外に目を向ける、というのは本来意識の問題だから、外国に行かなくても様々な物に触れてわかるものだと思います。でも、物理的に行く、そこで意外な事に出会う、言葉や習慣の違いなどなどに直接触れると、逆に母国日本への理解も深まると思うんですよね…。

そういう意味で、何でも便利になっていくと、人間はどうしても楽な方に流れるから、日本人の場合は日本のことしか関心がない、内向きになっていってしまうといいますね。

みんな違うんだ、という当たり前の事がわからないと、人は全体主義にも流れていくのでは…。皆同じだったらラクですけどね…。
Posted by みけ at 2011年12月30日 16:09
>普段そんな事何も言わない芸能人とかが急に絆とか言い出したのも違和感でしたね。

まあ、何かの形でそういうことをアピールしないといけないと言うか、何でも乗ってけみたいな世界ですからねー(^_^;)

当分これは続きそうですね・・・。
Posted by うり at 2011年12月31日 19:59
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