2012年03月06日

祖父が亡くなった。102才だった。

今日の夜、祖父が亡くなったと母から連絡があった。

102歳。

自分のことは自分でできる祖父だった。

ごはんくらいなら炊くし、お風呂も入る。

最近は祖父の面倒のことで母と義姉の間でいざこざがあり、なんとなく親せきやいとこたちと
顔を合わせづらくなって
いたのだが・・・。
そのいとこたち、叔母たちとも明日、あさってには顔を合わさなければいけないふらふら

なんとなく、憂鬱でもあるが。



叔母が様子を見に行った時、ずいぶんしんどそうにしていたそうだ。
その連絡が母のもとに入ったすぐ後、祖父が亡くなったと連絡があったそうだ。

大往生だ。

幼い頃から、いつも祖父は自転車に乗って近くに住む私の家に寄っては
いろいろなものを届けてくれた。
私も、何度も祖父の自転車の後ろに乗せてもらった。

その時の写真があるので、より記憶は鮮明だ。

その自転車には80歳頃まで乗っていたが、さすがに80を超えてからは周りの人間が止めさせたたらーっ(汗)

そんな祖父の後年はかなり耳が遠くなっており、話をしても完全に一方通行だったが、
とても元気な祖父だった。

祖母は施設に入っていて、もう私のことは覚えていないがボケてはいない。
小さな手作業が好きだった祖母のベッドには編み物のかごが置いてあった。
96才。

祖母には祖父の死が分かるだろうか。


お世辞にも綺麗とは言えない祖父母の自宅には、中学生の頃まで本当によく遊びに行った。
週末にはいとこたち6人と泊まり、いろんなところに遊びに連れて行ってもらったものだ。


正直、まだピンとこない。


人は死ぬ。

いつか死ぬ。

それが分かっているので、余計に私はこういうことでは泣かないし、泣けない。



来週の息子の中学の卒業式のための黒いスーツ。
まさか、こんなことで先に着ることになるとは思わなかった。



祖父は最期に、どんなことを思ったのだろうか。


そして私は、送る時に何を想うのだろうか。


それはまだ、分からない。


スポンサーリンク



posted by うり at 01:31 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うりさんのご家族も長寿の家系ですか・・・

僕の父方、母方も長寿の家系のようです。

僕の父も母も80歳を超えました。叔母は90ですがぴんぴんしてます。

勿論、物覚えが悪くなったり、腰が弱ったりとか加齢に拠る衰えはありますが、生きているというだけでそれはとても素晴らしいことなんだと最近になってからようやくわかりました。

あと何年・・・

この幸福が続くんだろ。

そればっかりはわかりませんよね。


わからないことが幸福。


そんなこと考えたり・・・(笑)
Posted by riamn at 2012年03月06日 21:05
そうなんです。特に母方が。
なので、父からは、お前(母)の方が長生きすると言われていました(^_^;)

ただ、長生きはいいけどボケてしまったのでは・・・。
仕方がないことですが、あれだけの震災で、もし私が高齢で足腰もおぼつかない状態で助け出されたりすると、すごく申し訳ないと思ってしまうと思う。
ボケてしまうとそういうことも分からなくなる。
そんな状態で生きていて、人に世話をしてもらい続けるのもどうかと、自分では思ってしまいそうです。

歳をとる、ってことを最近はやはり考えますね。年齢的に。
Posted by うり at 2012年03月07日 09:35
生きているというだけで素晴らしい。
でも・・・
うりさんの仰るように寝たきりで呆けたまま生きながらえることが果たして双方にとって幸福なのか?

それはやはり考えますね。

うちの両親も、寝たきりで生きていてもそれは生きていることにはならない。そーいう価値観の持ち主です。(笑)

価値観は人それぞれですから。

僕は、聖人君子にはなれないけれど・・・


最後の瞬間に、すべて間違いじゃなかったと思いたい。


そんな生き方しか選べません。

(笑)
Posted by riamn at 2012年03月07日 19:55
最近、ですけど、自分はどういう死に方をするのか、って考えます。
もしかしたら、普通に生活してて、突然の事故でいきなりそこで息絶えなきゃいけないこともあるかもしれない。
そうなると、ちゃんと誰かにこう言っておけばよかった、なんてことも
あるかもしれないと思うようになりました。

なので、最近は相手に照れずに「会えて嬉しい。また会おう」と言うようにしています。

だって、riamnさん、最期の瞬間にそんなこと考えていられないかもですよ(^_^;)

まあ、だからこそ、生きてるうちにやりたいことやろうって思ってるわけですけど。
Posted by うり at 2012年03月10日 07:44
「会えて嬉しい。また会おう」

いいですね。物凄く素直で尚且つ未来への希望を失わないことばですものね。

そう。もしもこの瞬間に地震が襲ってきて、こうして書き込んでいるうちに息絶えてるのかもしれないし・・・

僕は、あの言葉が好きなんです。

バンプの歌詞なんですけどね。

さて!!ここで問題です。

果たして僕の大好きな一節は、この曲の何処でしょうか?

http://www.youtube.com/watch?v=x6pzZ_IGQAg&ob=av2e


・・・実はぜんぶ好きなんです。(笑)
Posted by riamn at 2012年03月10日 09:29
バンプ、いいですよね^^

かさぶたの歌とか、妙に感動する(苦笑)

「宇宙飛行士への手紙」
今と過去、未来への思いを綴っていて、
誰もがぼんやりと思うことをうまく歌詞にする
表現力は素晴らしいです。
Posted by うり at 2012年03月11日 07:38
ご冥福をお祈りします。102歳、大往生ですが亡くなって「いなくなる」というのは淋しいものと思います。「人が死ぬ、と「(相手は生きてるけど)ずっと会えない」」のはどう違うのかと中学生の頃考えた事がありますが、生きていれば幸せであってほしなあと思う、思われる人でありたいとは思います。

死や生は人間が認識するもので、それを理解できなくても生きているものは必ず死ぬ。だから人間は宗教を生み、哲学を生んできた。神や、それによって造られた精神や魂は永遠のものであると…。それが真実か、そして何が真実なのか、そもそも我々の世界は何なのか、物質とは何、生命活動とは何、何故なのかと考えても答えはありません。

ただ、死ぬと、もう生きているものとコンタクトする事ができない。死後の世界や永遠の生命はあったとしても、今のこの世界との関わりは、この世界にとっては死によってNothing、となるのです。そういう意味では生きている状態の方が、自由度が高い。亡くなった人を思ったり、未来や過去を考えたりできるのは、そして生きる中で何をするのか、と選択する自由度など、死のあとに何があるか、何もないのか、という事が解らない以上、死よりも生のほうが人間にとっては意味があるのではないか…。

「意味」とは何かとか思うと堂々巡りになりますが、人間とは意味を求めてしまうものなのでしょう。

だからというか、人にうとまれたりしない人になりたいなあ…と思ったりします。良い思い出を出会う人に持ってもらえたらなあとか。
Posted by みけ at 2012年03月17日 16:57
みけさん、こんばんは^^
卒業式やら合格発表があり・・・なかなか
ここに来れずにいました。

会えない人は死んでいるのと同じこと、
という歌詞があったような気がします。

私もずっと生と死のことは考えていて・・・。

正直、祖父にはもう何年も会っていない状況
だったので、今更祖父が死んだ、ということに
なってもあまりピンと来ない状況でした。

それでも、折に触れて祖父のことは思い出しますし、だからと言ってその死を悲しむでもなく、
祖父との思い出や、祖父の生きざまなどを
私なりに思ったりするのです。

薄情なようですが、やはり私にとっても、
なんのコンタクトもしていない人は
死んだ人と同じなのかもしれない、なんて
思ったり・・・。

こんな自分の思いは、あまり他の人には
理解されないだろうなとも思っています(^_^;)

そんな自分なので、特にどういうふうに思われたいというのもないんです。
もちろん、恨まれたら嫌ですけどね(苦笑)
Posted by うり at 2012年03月20日 21:31
たとえばかつての同級生って名前も覚えていなし、顔も…。もし亡くなったよと言われても実際悲しくない。距離かな、と思いますね。

例えば外国で100人が死んだ、といっても日本ではたいしたニュースにならないけど、日本で事件が起こって1人死んだ方が話題になる。そういうのに関心がない場合でも、仮に自分の近所で起こったら気になる。そんなものかもしれない。

まああんまりわかってもらえないというか薄情と思われるかもですね。絆の国ですから…。

もちろん大切な人を失いたくないし、失ったら悲しいけど、それを周りにうったえて、「素晴らしい人だったんです」とかいうのはできないしやりたくない。あと自費出版で自分史作って知人友人に買ってもらったり、あげたりとか無理w

喪失とは避けられないものなのだ…というところから哲学が生まれたのだし、死があるからこそ生きている事を本来感じだれるのだ、と思うのですが、「死」をタブーとしてしまうと、実は真剣には生きていないのに、命が一番大切でそのためなら何でもやるとか、歪んだ健康志向やネガティヴなものをすべて排除した生き方になってしまうような気もします。

人間には負の感情が必ずあるのに、それを全部排除して、皆がにこにこして生き生きしている事がよしとされるような社会って健全とは思えないのでした。
Posted by みけ at 2012年03月24日 15:53
>喪失とは避けられないものなのだ

いや、本当にそう思います。
形あるものは壊れるし、人もいつまでも同じではいられない。気持ちは移り変わっていくもの。
変化はしていくものだと・・・そう思います。

今、ちょっとそのせめぎ合いしているような
感じなんですよね・・・。
自分の仕事、生き方にしても。
コレでいいのかと思ったり、じゃあ何ができるのかとか、いろいろと思うことがあります。

これが歳をとるってことなのかしら。
Posted by うり at 2012年03月27日 01:23
人生とは流動的でなければいけない気がします。

しかし人生って何だろうとか、とか考えるのは人間だからなんだけど…。猫と過ごしていると、人間以外の動物は、そんな事は考えず、ああしたいこうしたいという我欲も悔恨もなく、純粋に生きているのがとても美しく見える時があります。

「生きがい」という言葉も私は好きではなかったりする。だけど、「これがなければ自分ではない」というものは持っていたい。

でも…それがなくなったら私は本当に「私」ではなくなるのか? とか思うと堂々巡りです。
Posted by みけ at 2012年04月03日 19:58
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック