反抗心のエネルギー - ぶつくさブログ

2012年04月12日

反抗心のエネルギー

ようやく、娘、息子の入学式が終わったたらーっ(汗)

今週はほとんど仕事をしていないが、今日が本当に久々の休みのような気がする・・・ふらふら

昨日は娘の中学校の入学式だったのだが、その帰り、校内で茶髪のギャル系の女の子が先生たちに
思いっきり反抗している場面に出くわしてしまったあせあせ(飛び散る汗)

先生「おめーが間違ってるから言ってやりょーんじゃ!」
生徒「うっせー、うぜーんじゃ(と先生のお腹にパンチ)」
それを見た他の先生も止めに入るが、
生徒「こいつから先に手出してきたんじゃ」

などなど、何が原因かよくわからんがこんな場面を見かけてしまった。

私はこれまで、こんなにも何かに真っ向から反抗したことはないので、その心理が
実はよくわからない。
てか、こんなふうに反抗するのは面倒だと思ってしまう。
きっとこれは、大半の人が同じ意見なのではないだろうか。

だけど、不良と言われる生徒、子どもたちは、本当に、真剣に、真っ向から
おとなにぶつかる。

そんなに嫌なら、そんなに規則がいやなら、先生が嫌なら来なけりゃいいじゃんと
思うのだが、どうもそういう話ではないんだろうなあ・・・。

ここでも書いたかもしれないが、遥か昔、中学生だった頃、私とヤンキーの友人が何かが
原因で先生に叱られる場面があった。
この時私は、早くおとなしくしたがって、この場を切り抜けようと思った。
それに、特に言うこともなかったし、おとなしく先生の言うことを聞いていた。
逆に、ヤンキーの友人は完全に反抗的な態度で、先生と目も合わせないもんだから、
余計に説教が長引いてしまったのだ。

正直、なんでこんなくだらんことで時間をかけんといけんのじゃ。
アンタが黙って言うこと聞いてないからじゃがー。バカ―。

と思っていたら、説教が終わった後、その友人は、
「うりちゃん、何にも言えれんのんじゃなー。じいっとうつむいとったじゃろう」
と鼻で笑ったのだ。

私はこの時、あまりの価値観の違いに唖然としてしまい何も言えなかったのだが・・・。

この価値観が違う限り、私は反抗的にはなれないなあと心から思ったものだ。

何かあれば先生に呼ばれ、最後には途中で学校に来なくなった友人。
彼女のせいいっぱい先生に反抗する姿と、昨日見かけた少女の姿がダブる。

せめて、そのエネルギー、何かに生かせたらすごいことになるんだろうなあ・・・。

と、思わずにはいられない。

何かって何?

と聞かれると困るが・・・。

posted by うり at 15:16| Comment(42) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ども。お久です。
う〜む。私も、事は起こしたくない、無駄だとは思っていたけど。
でもね、そうは思っても「こんちくしょう!」って思うこと、ないですか?
青春としては、本当はヤンキーさんのほうが健康で、うりさんのは不健康だと思う。
思春期にまともにぶつかる経験がないと、後々築き上げる人間関係が、
薄くなるんじゃないかと危惧もあるし。
尾崎豊も理解出来ないし。それは関係ないか。
Posted by テリー横田 at 2012年04月12日 15:45
う〜ん・・・

うりさんは、もしかしたら割と小さい頃から人生を達観していたのでしょうか。
隣を横目で覗きながら、自分はわが道を行く。
それもB型の特権かなぁ。(笑)

今日も帰り道、駅への道すがら・・・

もろヤンキーの3人組が歩いていました。

周囲に対して、自分をかまってほしくてしょうがない!!オーラが出まくりっ。

気が小さくて寂しがりで、そのくせ他人に対して素直に接することが苦手。

だから近寄るなオーラが出てしまうのかな。防衛本能として。
ほんとは、叱られたくてしょうがないくせにっ。


テリーさんの仰るとおり、納得できないことに異議申し立てをするのが若者の特権。
そう考えると、僕も醒めていましたよね。
面倒起こすのは勿体無い。そんな暇があったら自分の時間を大切にしたい。
そう思っていたのでしょうね。

それが悪いことだとも思っていなかったし。

>思春期にまともにぶつかる経験がないと、後々築き上げる人間関係が、
薄くなるんじゃないかと危惧もあるし。

その通りっ。(笑)後々・・・それで苦労しましたもんねっ。


人を随分悲しませたり裏切ったりしましたから。


そんな経験があったからこその今ですけどね。(笑)
Posted by riamn at 2012年04月12日 20:10
さっき、言い忘れましたけど、テンプレート、凄いポップですね。

素敵です。
Posted by riamn at 2012年04月12日 21:22
テリーさん

どうも^^

>そうは思っても「こんちくしょう!」って思うこと、ないですか?

ありますよ(^_^;)
というか、ありました。
でも、私の場合は極力それを抑えると言うか、静かに闘志を燃やして
出し抜くという、ちょっと小ズルイところがありました。
今考えると・・・。
なんかね、こんなことに気を荒立てている自分、というのが嫌で、
せいいっぱい虚勢を張ってた気がします。
あ、でも前述の先生に怒られたくだりは、腹も立たなかったし、
とにかくその場をやり過ごそうとしか思ってなかった。

>青春としては、本当はヤンキーさんのほうが健康で、うりさんのは不健康だと思う。
思春期にまともにぶつかる経験がないと、後々築き上げる人間関係が、
薄くなるんじゃないかと危惧もあるし。

いやはや、まさにその通りです。さすがですね(^_^;)
人間関係、どうしても薄くなりがちです。
当たり前ですよね。ぶつからないから。本音は言ってるけど、本気で
悩んでることは絶対に誰にも言いません。
とはいえ、こうやって生きてきて40数年・・・感情も希薄になるばかりです(^_^;)
Posted by うり at 2012年04月13日 08:05
riamnさん

>もしかしたら割と小さい頃から人生を達観していたのでしょうか。
隣を横目で覗きながら、自分はわが道を行く。
それもB型の特権かなぁ。(笑)

そうですね(^_^;)
その通りです。
母親が当時ものすごくヒステリックな人で、その感情に振り回されていたら
ダメだと思い、その嵐が通り過ぎるのをながめている、ってことも
ありましたから、それが原因の一つかも?

あ、それと書き忘れましたが私、A型です(^_^;)

Posted by うり at 2012年04月13日 08:16
そ、そうだったんだ・・・(冷や汗っ)

知らぬこととはいいながら、こちらの勝手な思い込みでさぞかし不快な思いをさせてしまったことでしょうね。

ここに陳謝いたします。


ちなみに私、この下の記事におけるコメントでこんなことを・・・

“あっ、そうか。ご自身も友人も皆B型なんですねぇ。
実は、僕も・・・
B型です。

そう。B型は、基本的に自分の事しか興味が無いらしいんですね。
他人の言うことは一切聞かないし聞きたくない。
皆で喋っていても、常に気がつくと「自分!自分!自分!」。
自分が一番可愛い!!らしいんですね。

野村克也氏が名言を吐いていましたっけ。

「野村、金田、長嶋。この3人は、B型。B型は人の話を聞かない」と。

自分のことは常に棚に上げて知らんぷりぷりぃ〜。

つくづくお気楽ですよね。”



わはははははっ、なんてのーてんきでお馬鹿野郎なんだろっ。


ほんとうに失礼いたしました。
Posted by riamn at 2012年04月14日 06:35
いえいえ、別に不快なことはないですよー。
気にしないでくださいね。

というか、B型の友人が多いので親近感を感じるくらいです。

血液型にはあまりこだわる気もないですが、でも、どうしても
そうとしか思えない性質ってありますよね(^_^;)
Posted by うり at 2012年04月14日 22:48
テンプレの、ぴーこん、っていうんですか。なかなか可愛いですw 色の感じで一瞬ハロウィンかと思いましたw

反抗心…私もないんですよね(__)。野心もない。反抗してあれこれ言ってもどうにもならないし、それで時間取られるのも嫌…。「青春」というと色んな事に反抗して、怒りを持って、意見をたたかわせて…みたいなものだろうか。日本の青春ドラマというと、ちょっと荒れた子が反抗して、みたいなのが多いかもしれない。

熱血と青春、それらが小さい頃から欠けていました。明るく楽しくやっている人達を横目で見る…とはいえ、それらに不満も何も感じていなかった、今も。なんというか、意地がないのかなあ…。

人のそういう話読んだりするのは好きなんですけどね。ココ・シャネルが母親が死んだ6歳で父親に捨てられ、孤児院で生き、そこの汚れた屋根裏部屋で偶然見つけた白いドレスを握り締め、「私はいつか白いドレスを着て白い家に住むようになってみせる」、「そして父親や父親のような男達に復讐してみせる…」と固く誓ったとかいうの。ああ凄い…と思うのは自分にそういう気概がないからかも。

学校に不満があったら、私だったら何も言わずに不登校になるんだろうなあ。
Posted by みけ at 2012年04月15日 17:55
若い頃は反抗しなきゃいけないなんてことは全く無いし、反抗しないで済めば、それが一番いいんですよね。余計な労力を省けるし、人にも迷惑が掛からない。寧ろ褒められてしかるべきなんです。(笑)
血液型判定なんて、所詮一つの基準に過ぎないんだから。
ところが世の中はなんでも基準に当て嵌めたがるんですよね。
基準が無いと世の中の統制が取れないから。
脱原発も反原発も、どちらが正しいかなんて本当は誰にも決められないし、決めるべきではない。決めるのは自分自身の感性。
学校の教育も、そこを履き違えている。
ゆとり教育とか自主性を重んじるとか言っても、最終的に鋳型に嵌められてしまうのが世の中の本質。
不健康だろうと健康だろうとほんとは大きなお世話なんです。
いろんな奴がいていろんな生き方があるから他者への理解が醸成されるんですものね。一つの鋳型に嵌められたら、思考力も想像力も育たないし、そんな世の中は一見穏やかで平和かもしれないけど、生きることにすぐ飽きてしまう。
飽きてしまうから自殺者が増える。事実、そんな危険な舵取りを率先して行っているのが現政権。そんな気さえしてしまう昨今です。(笑)
Posted by riamn at 2012年04月15日 20:31

の自分のコメント読むと、つくづくいい加減で無責任な奴だと思います。
こんな大人になると碌な人生送れませんから、皆さん、くれぐれも気をつけましょう!!


おおきなお世話でしょ!!
はいっ。そのとおりっ。(笑)
Posted by riamn at 2012年04月15日 20:51
みけさん

ぴーこん、可愛いでしょ^^
なんか分かんないけど、一目ぼれしたので変更しました。

みけさんも同じタイプぅ〜(^_^;)
ただねえ、態度に出さない、言わない分、脳内は完全に羽ばたいていましたよ、私は(笑)
要するに、妄想で生きていたというか満足していたというか、それで完結しちゃってました。

>学校に不満があったら、私だったら何も言わずに不登校になるんだろうなあ。

私はそんな勇気もないですよー。
不登校になろうと思ったら、親とそのことで揉めなきゃいけないじゃないですか(^_^;)
それほどの勇気もないので、ただ黙々と学校に行ってましたね。
そう思えば、不登校になるってのはただの怠けとかじゃなく、かなり強い意思表示なのかもって今思いました。
Posted by うり at 2012年04月16日 00:19
riamnさん

まあでも、何かの枠や型にはめて、または例えて納得したい人の方が
大半ですけどねー。
私も以前は、そう思われるのはすごく不本意だったし嫌だったけど、
今はむしろ楽しんでいるかも。

へー、この人には私のことがそう見えるんだ。なるほど。とかね。
なんでそう思われるんだろう?なんてことも自己分析したりしてます。

結局、やっぱり妄想好きなのかも・・・。
Posted by うり at 2012年04月16日 00:23
ああそうだ、不登校になったら毎日親と争ってたはずだ(^_^;)。それを忘れてたw 学校に行かない! と決めるのはたしかに固い決意があるでしょうね…。猛烈ないじめがあるとかなら行きたくない・行けない理由はわかるけど、その事実を親や周囲が知ることができるかといえばわからない…。

私も空想に逃げてたw 色々争ってもしょうがないし…という子供だったなあ。
Posted by みけ at 2012年04月18日 22:05
でしょ(^_^;)

私はいじめにあってましたけど、おっしゃる通り休むと二度と
行けなくなる気がしたし、そうなると親に知られるし、
休んでる間自分の机とかがなくなってたらとか(切実)
思うと休めませんでしたねー(^_^;)

なので、登校拒否は勇気あるなあと。ある意味。
Posted by うり at 2012年04月19日 21:51
そうですね。お話を伺っていて初めて気付きました。
それまでは、登校拒否は意気地なしの逃避行為であると、誰もが思っていたはず。
でも・・・
よくよく考えてみれば、登校を拒否する。つまり世界へ向けた宣戦布告ですものね。きちんと自分の意思で異議申し立てをする。
立派な大人ですよ。
尾崎はやっぱり偉大だった。
Posted by riamn at 2012年04月20日 19:47
うーん、なんかねえ・・・。
自分はここまで強い意思表示をしたことがないから
余計だろうけど。

まあだけど、「行きたくない」「したくない」で終わっていては
やっぱりダメかな。

「じゃあ○○する」と打開策を自分で見出さないとなあとも
思います(^_^;)
Posted by うり at 2012年04月21日 08:55
すくなくとも世界に対して異議申し立てをするなら、その意思を具体的に行動に変換する能力も問われるというわけですね。


本来、そのサポートをするのが教育。


たとえば、君がこう思うなら、このような選択肢もあるよ。

その意思を形にしたいなら、こうすればどうかな?


それが実践能力を育む源?

Posted by riamn at 2012年04月21日 10:19
いろんな選択肢を与えるのは大事だと思うんですよ。
特に学生の頃は、自分がどれだけ狭い世界に住んでいるかを知らない。

だから、そこから抜け出せなくて悩んだりするのではないかと。

なので、そんなに学校に行きたくないなら、別の学校に行ってもいいじゃない。
今の生活圏がすべてではないよ、

というのを知ってもらいたいなあ。と。
Posted by うり at 2012年04月22日 13:31
選択肢、って大事なんですよね。多くを知っていたり持っていたりするとそこで自由が広がる。情報を遮断された独裁国家なんかを見ると思ったりもします。あと、例えば語彙、も300しか知らないのと、5000知っているのとでは物事の解釈、理解力、表現力が全く違ってくる。教育は、その『選択の自由』を与える為に必要なものだと私は思っています。

すえのぶけいこ さんの漫画に『ビタミン(全一巻)』というのがあって、女子中学生の主人公がすごいいじめを受けるんです。学校に行きたくない、という主人公に、事情を知らない母親は怒り、悩み、布団をはがして学校に行くように言う…。主人公は、自分がされた数々の酷い事を思いながら、「あんな酷い事をされる所、こんな辛い思いまでしていく所なの!?」と誰にも打ち明けられずに苦しむ…。

もし自分の子供が酷いいじめを受けていたら、死にたいほどの思いをしながら行く事はやめてほしい…と思いますね。いじめ自殺の報道はよくあるけど、死んでしまったら、後で裁判で認めらたとれても…。そのために遺族は疲弊して、法的に勝ったとしてもそのあとの空白感やつらさをを埋めてはくれない。
Posted by みけ at 2012年04月30日 13:47
そうですねえ、その選択肢は、私は社会人になって振り返って
気づいたことだったのと、いじめで自殺したり、という
ニュースを見たりして、自分が親なら選択肢はたくさんあると
いうことを伝えたいと思いました。

子どもには割と早めにそういうことを伝えてたと思うんですが、
それを覚えているかどうか・・・?(^_^;)

本当に、死んでしまったらもうそこで終わりですもんね・・・。
裁判とかで勝ったって、死んだ人は帰ってこない。
そう思ったら死ぬことの重さを改めて感じます。
たとえ自分は、自分の死について漠然と考えることがあったとしても。
Posted by うり at 2012年05月01日 15:08
その時はわからない、特に子供の頃はそうですよね。大人でも、過ぎてから「こういうことだったのか」と思う。実際にどうというより、納得の形なんだろうけど…。あと自分や身近な人の事だと客観的になれていないかもしれないですね、自分ではそう思ってなくても…。

子供の自殺の報道を見ると、「死ぬくらいなら学校に行かなければいいのに…」とつい思ってしまうけど、当事者にとってはそれしか選択肢が無かったのか、そう思いつめ、他に方法が無いと思ってしまったのか…。

日本は年間で3万人以上が自殺する、というけど、実際はもっと多く、そして未遂者はもっと多い。死を考えている人もたくさんいる。国家が命を大事にしているなら、こんな風にはならないはずなんですが、そして自殺の原因はそれぞれ色々あるわけですが…。死ねばこの世でのことは全部終わり、何もなくなる。人間は必ず死ぬし、いつ死んだってその人の自由、でも…。

答えがないですよね。でも自殺という終わり方は悲しいものです…。
Posted by みけ at 2012年05月04日 18:06
>「死ぬくらいなら学校に行かなければいいのに…」
ホントにそう思いますね。だけど、悲しいかな本人としては本人の価値観で
せいいっぱい考えたんでしょう。
こういう子は、いじめられていることをきっと親にも言えないし、誰にも
知られたくないから八方ふさがりになってしまう。(あ、私もそうだった)
私はさすがに自殺は怖かったけど、「死ぬ」と考えるととても楽になった。
それと、病気やケガとかで入院はしたかったですねー。
今思えば。

自殺者は、本人の近しい人がかなりのダメージを受ける気がします。
無力感が半端ないと思う。
それと、どうしてもその影響か、連鎖してしまうこともあるんですよね。
前に書いたかもですけど、報道側も自殺を綺麗事に見せてしまうのもどうかと。
オヅラさんが、それを指摘してて「いいからとにかく、死ぬな!以上」
とバッサリと締めくくったのが印象的でした。
Posted by うり at 2012年05月06日 11:45
自死とか心中を美化する傾向がどうしてもありますからね…。日本の場合は文学でもそういうのが多くあるけど、それは時代背景や文化の問題だから、悪いとはもちろんいえない。でも美しいもの、というイメージを強めたのは、こうしたすぐれた文学作品であったりするのかも。そして文学者の自殺など。

報道で、若者の自殺を取り上げると、連鎖しやすいというのはどこの国でもあるようで、日本もたしか80年代だったかに連鎖自殺が起こって、自殺報道を自粛するように国が要請かなにかした事がありました。自殺者は年間3万人を超えるから、その中には10代もたくさんいる。もしそれを連日報道して、「若者の心に何かがある」みたいに取り上げ続けたら、それに何人かが影響されて思春期の人達を中心に自殺が起こる。

17歳のバスジャック事件の時も、「17歳」の人達がかなり影響されたけど、あんまり報道したからだと思います。そのときたまたま17だっただけで本来関係がないのに、関係あるかのような気持ちになってしまう。その人達はもう社会人だけど、今思い出したら、なんで感化されたのかな?と思うんだろうな…。

逃げ道がないと思っても、少しふんばれたら、「なんだ」と思える事って多いですよね…。でも若い頃はそれがわからないから、自分の橋を燃やしてしまうようなことをする。
Posted by みけ at 2012年05月12日 16:36
ああ、そうですねー。
でも、ちょっと想像力を働かせたら、首吊った後、飛び降りた後とか自分がどうなってんだと思うとそんな姿をさらしたくはないですね。
絶対に美しくないです、そんなの。

>そのときたまたま17だっただけで本来関係がないのに
17歳って、表現は悪いですが題材として絵になるというか、おさまりやすいというか、いろいろなジャンルの作品で17歳って取り上げられやすい気がします。
後は15才とか。
あと、きっといい迷惑なのが加害者の言動にゲーム、アニメとかの言動が
あったり、そういうものが押収された場合ね。
それだけでゲーム好き・アニメ好き=危ないと思われるのは不本意だろうと
思います。

>逃げ道がないと思っても、少しふんばれたら、「なんだ」と思える事って多いですよね

これは今でもありますね。いま最大のピンチだ!って思ってて、いざそこを抜けだすと綺麗さっぱり忘れてしまう。もしくは、思いだしてなんであんなに絶望してたんだとか。
人生はこの繰り返しなのかもねぇ・・
Posted by うり at 2012年05月15日 09:12
>人生はこの繰り返しなのかもねぇ・・

ですねw 大変だーとか思ってても過ぎてしまうと…。まあそれだから良いんですけどね。いつまでも引きずるようなのは、ようは取り返しのつかないこと、なんだろうなあとか。

ゲームやアニメの「変なイメージ」が決定付けられたというか一般にそう見られやすくなったのは、やっぱり宮崎勤事件でしょうね…。あの頃に「オタク」という言葉も一般に広がったんじゃないかなあ。あの四方に積み上げられたビデオテープで窓もふさがれた部屋、アニメの編集録画したテープや同人誌…。コミケが「危険」として中止になったり、当時アニメが好きな大人は、親に泣かれて「やめろ」と言われたり、色々あったようで…。

秋葉原の事件があってすぐに、宮崎死刑囚の執行があったのも、「アキバ=アニメ」、のイメージで、国民が死刑に反対しにくい空気がある時を選んだと思います。最近の執行は3件ありましたが、増税や北朝鮮関連のニュースで死刑に関心の向きにくい時期だったし、いつも時を選んでいるんです。

死刑の是非は個人の人生観・宗教観などなどで異なるので、それについて私はどうこう言えないけど、国家の最高刑として死刑があるのなら、そういうコソコソしたやり方というか、死刑とは何か、という事を曖昧にしたまま続けていくのはおかしいと思うんですよね…。刑場の公開は一部あったけれど、執行がどういうものなのか、という事については、国民にとっては本当に抽象的なものなので。

理想だけを言えば、死刑は無い方が良い。でも感情的にそれは許されるのか。かといって遺族の感情だけで刑罰が決まるのなら、それも歪んだものといえると思います。「許される」というのは「納得できるのか」に近いのだけど、執行があったから納得できるともいえないし、死刑に反対する被害者遺族がいても、それとは関係なく執行はある。

人間が人間を裁く事に本当は無理があるのだけど、いつか神が裁くのだ、私語に裁かれるのだ、では人は「納得できない」。理屈を超えた問題だからこそ感情だけで言ってはいけないし、答えがないんですよね・・・。
Posted by みけ at 2012年05月21日 22:38
 ↑ 上の下から二行目、私語じゃなく、『死後』 です すみません…。
Posted by みけ at 2012年05月21日 22:40
そうですね、記憶に新しい「宮崎勤」から、アニメについての認識が
変に根付いてしまったと思います。
それほど、あの報道された部屋の様子は異様でしたから・・・。

死刑については、私は単純なので被害者感情に任せるとアリだと
思ってしまう。
もちろん、なぜそこに至ったかというのは放ってはおけませんが・・・。
犯人が死刑になることで、遺族はそれで気が済むわけではないけど
何らかの区切りがつくと思ってしまっています。
Posted by うり at 2012年05月24日 01:49
あの部屋は、家族がマスコミに公開したけど、実はバラエティ番組や歌番組の録画ものが多く、散らばる雑誌も普通の物が大量だったそうです。でも「それでは画にならない」とマスコミ側が、アニメやポルノの本やビデオをカメラに映る位置に引っ張り出して置いた、と言われています。こういうのも怖いんですよね。

家族は家から出、そこはその後更地になり、苦しい中で父親は自殺、母親は息子の執行後、遺骨の引取りを拒否、拘置所内の墓地にそれはあるという…。世間は加害者家族も吊るせとか酷い事を言ったり、嫌がらせをする人も多くいるけど…。家族の言う事なんか聞かないから、事件が起こるんだろうし…。

>被害者感情に任せるとアリ

私も残虐な事件があると、感情的にはそう思います。でも、「感情」でやってしまうと、では、悲しむ遺族のいない人は? それとか、皆から嫌われている人が殺された時は?とも思います。そして感情論でいくと、被害者の社会的立場によって加害者側への刑罰が変わってくる、恣意的になってしまう。そうなるとアンフェアになるわけです。

無差別殺人を除いては大体が怨恨、殺される程に恨まれるような人なら殺されたって当然、だから刑が軽くていい、となってしまうと、その基準はどこで決めるのか。「さらに悪い」人ならやっつけていいのか。悪い、というのは誰が決めるのか…。法律というのは、多数決とは相容れない部分があり、そういう意味で私は裁判員制度に反対なんですが(他にも審理を早める為に事件を単純化する、など色々あるけど)、でも制度が始まって、裁判に参加することによって、社会にとって法律は何なのか、という事をより多くの方が考えてくれたらいいな…と思っています。

イギリスで死刑が廃止されたのは、70年代に母娘が殺され、その夫が逮捕されて死刑執行、その後真犯人が逮捕された、という事があってからなんですよね…。冤罪はあるし、事件は取調室で「作る」事もできるわけです。そしていったん調書が作られると、裁判はそれに引きずられていく。

日本でも、松本サリン事件があって、あれはその後で地下鉄事件が起こらなければ、河野さんが死刑囚になっていた可能性が極めて高いんです。その時、もともらしい判決文や事件の経緯が「作られる」と、それが「真実」となり、無実の人を国が殺し、事件遺族はこの人を恨み続けたという事になったわけですよね…。世間の人も、報道を見て犯人はこいつだ!と言っていたわけだし…。

この人が犯人だ、と一番はっきりいえるのは秋葉原事件とか、宅間事件のようなのだといえますね。
Posted by みけ at 2012年05月28日 20:54
なるほど、全く公平な視点から見るとそうなるわけですね。

オウムの事件は、先日NHKで2日間に渡って特集を組んでて、
ドラマも作っててとても興味深く見ました。
結構肝心な部分も抜けてたんですけどね・・・(^_^;)

河野さんのことですが、そうですか、死刑になっていたかもしれない
なんて怖すぎますね・・・・。
確かに、あの事件では世間的には誰か人身御供となる人物が必要だった気がします。
たとえ一時的にでも。
あまりにも不気味すぎるので、犯人疑惑なる人物がいるだけで、なんとなく
安心できるような・・・そんな空気がありました。

しかし、ごく一般的な感覚を持った人が、ある思想に傾くとこれほどの事件を使命感を持って起こしてしまうとは・・・。
Posted by うり at 2012年05月31日 08:17
>人身御供となる人物

ですよね…。人間心理としては当然の働きかもしれないけど、「いけにえ」にされる人の恐怖や苦しみを思うと…。松本事件は、当時は謎の物質によって無差別に…、というだけに、警察も何としても犯人を捕まえ…作ってでも…というのがあったと思います。世間からの批判とか、警察の威信の問題にかかっていた。

オウムの青年達は、マスコミでは「頭でっかちのエリート」、「純粋培養で人の心がわからない」などといわれていましたが、実際には、優秀なだけでなく、いわゆるリア充が多く(中にはぼっち、もいたらしいが)、勉強だけでなくスポーツや趣味、友人関係も良好で、地域のボランティアに参加したり、家庭教師として人気があったり、人の為に尽くすタイプが多く、現在死刑囚になっている人の裁判でも、大学時代の友人が証人として出てくれ、彼は明るく善良な人で、皆から慕われていたという証言もしていました。

そもそも、人を蹴落として高学歴になった人達じゃないんですよね。頭が良くてもそれをひけらかしたり、人を馬鹿にしたりするような人達でない、そしてガリ勉して難関の高校や大学に受かったのではない。優しい、性格も良く…というだけに、社会のあり方とか、弱者が切り捨てられている社会システムをおかしい、と思い、団体に尽くした、という面があると思うんですよね。「頭でっかち」「人の心がわからない」なら最初から、他者の為になんか行動しないし、ワガママを通す事に専念していくわけだし。人を思いやりすぎとか、尽くす、というのが利用されたのかもしれないとか…。

オウム事件は、社会にとってまさに有用な人達が、どういう過程で、あのような結果となってしまったのか、というのが結局解明されなかった。単なる刑事裁判の手続きだけでなく、本当に検証が必要だと思います。
Posted by みけ at 2012年06月02日 15:34
最初、オウムは普通に平和とか、心の安らぎとか、そういったものを
求める集団だったことは確かみたいですね。
それが、いつの間にか外部に攻撃が向かっていったのはなぜなのか、
ということをNHKスペシャルでまだ残る浅原の説法のテープで
検証してましたけどすごく興味深かったです。

平和を求める→変わらない現状、社会にいら立つ→自分たちこそが正義だということを知らしめる必要がある→自分たちこそが絶対なので、その行動を止めることは
許されない

という思考の流れがよくわかりました。
そして、その思考を信者が支えてしまうわけです。浅原は特に具体的な指示は
せず、信者自身に答えを出させる方法で。
この辺りが悔しいけどとてもうまかったようですねー。

菊池直子が逮捕されましたが、それなりに幸せそうな17年間だったようで、
早くに罪を償っていれば、そんな生活は彼女のそばにあっただろうに、と
思わざるを得ませんね。
Posted by うり at 2012年06月05日 11:18
もともとヨガ教室でしかたらね。組織的にテロを行った、という結果だけで見てはいけないわけです。信者達は、過激派組織に入ったのではない、それとは真逆の、平和的なものを求めていた。それがどこで変節したのかを知るのは、麻原死刑囚や故・村井幹部だけではないのか…。

死刑囚や受刑者となった人も、今自由にしている信者や元信者の誰でもなりえた。地下鉄事件も、散布役と送迎役で主に死刑か無期かの量刑が分かれたけど、あれも教祖か村井幹部が選んだ、というだけで、他の誰が選ばれていても事件は起こった。

他のオウム事件もですが、地下鉄事件も誰一人拒否したり、実行直前にたとえば失敗を理由にわざと散布しなかったとか、あるいは電車に乗っていたんだから逃げる、それとか誰かにそっと知らせたりした人はいなかった。

【実行犯らが、拒否する、実行しないという精神状況になかった、全く逆らえない状態であった】、というのが後味が悪いのです。正直、こういう人達を死刑にしていいのか…。でも法に照らせば…。

記憶操作、記憶消去、人格破壊・改変… などというと、すごく大掛かりな感じですが、食事を抜く、塩分を取らせないなどで簡単に起こります。睡眠を取らせない、時間の感覚を失わせるなどなど…。

それらについて裁判所というのは検証する所ではない。単に殺人事件として法的に処理するだけなのでああいう結果になる。でも、「同じ殺人」、としても大阪姉妹殺人放火事件とか、星島事件、あるいはこないだの大阪での無差別殺人などとは全く性質が違う。そういう意味でオウム事件というのは、単なる法的な処理ではいけないんですよね。
Posted by みけ at 2012年06月16日 18:15
【実行犯らが、拒否する、実行しないという精神状況になかった、全く逆らえない状態であった】

先日のNHKスペシャルのドラマを見た感じで言えば、浅原の考えを
本気で使命感を持って実行する人、それからいくつかの罪を重ねて、いわば
連帯責任みたいになっていてもう抜けることができなくなっていた人で
構成されていたのではと思います。

初期の頃はヨガのように体を動かして、マントラを唱えて自己を高めていたのが、
ある時期から電極を頭につけ、薬物を体に流しての修行となっていったようで、
その格差が気持ち悪かったです。

Posted by うり at 2012年06月17日 10:12
ドラマ、私も少し見たけど麻原役がすごいというか、あれはモノマネにすれば、ふざけすぎだし、でも全く似てなかったら白ける。上手いもんです。ドラマ(ドキュメンタリ要素もありましたが)だから、教団が変質する経緯とか、個々の信者の置かれた立場とかは脚本というかわかりやすく作ってあるのだと思います。というか実際これがあったからこうなったのか? というのは解明されていませんし…。特別手配を除く公判が全部終わったのに、『未解決事件』というタイトルというのが深いような。

裁判では責任能力が争われるのですが、幹部らが逆らえない状態が作り出されていた事は認められたけれど、法的な責任能力の有無、というのでは、彼らは精神障害者ではないので…という感じでした。

うりさんのおっしゃる、使命感や連帯責任というものも心理的にあったと思いますが、それが環境によって作り出され、『自分の意思でやっていると信じている状態』にあった、というのが「マインドコントロール」といわれるゆえんです。逮捕される事で自身がどういう状態にあったか、という事を徐々に知り、自分は殺人を行ったのだ、と認識し、精神錯乱を起こしたオウム死刑囚も何人かいます。そして被害者や遺族にも、彼らの助命を望んでいる方たちがいて…。複雑なんですよね…。それをワイドショーはすごく単純に作ってしまうから、他のあらゆる出来事がそうだけど、それらに違和感を感じますね。単純化した世論みたいなのを作ってしまう。

オウム事件は通常の殺人とは明らかに性質が異なるし、ああした状態を多くの信者に作り出した事により、地下鉄のような事件が起こった、という事について何の検証も行われていない、というのが将来に禍根を残すことになるのではと危惧しています。
Posted by みけ at 2012年06月23日 15:27
それなのに、オウムを知らない世代が今もどんどん入会している
そうですねー・・・。
それだけの魅力があるということなんでしょうけど、
何が惹きつけているのか知りたいですね(^_^;)

菊池直子も、VXガスを会社員に撒いた容疑で再逮捕されましたが、
そんな事件もあったのか、という感じです。
一体どれだけの罪を犯しているんでしょう?

菊池直子と同居していた高橋容疑者も、高橋克也を恐喝していたというし、
犯罪を犯す人というのは自然と集まってくるのかという気さえします。
Posted by うり at 2012年06月26日 08:52
菊池の同居人男性は彼女が手配犯と知ってて、一緒にいたわけだから好きではあったと思います。通報したのがほんとに彼の家族なら、懸賞金の額が上がったからかなとか思いますね。でもあれは簡単にもらえないし(漫画喫茶の店員も、なかなかもらうまで大変だと思う)面倒だと思います。

高橋克也をゆすってお金を取っていたのが事実なら慎重な捜査が必要ですが、「犯罪を犯す人というのは自然と集まってくる」という事はないと思います。ようはお金に困っていた菊池の恋人が、手配犯という通報されたら困る人、から確実に取れそうな金、をむしっていたというか。人が集まってくる、というよりつけこまれやすい状態があって、そこをつかれたという事なので、犯罪の中で犯罪が起こりやすい、の方が近いと思います。

若い世代のオウム入信がいわれていますが、これも難しい問題ですよね。刑事事件を起こしたところだから問題が顕在化しやすいけど、ではそうではない、でも何か問題がありそうなグループに自分の子供が惹かれている…となった時、成人なら信仰の自由があるわけで…。現在のオウムにしても、どうしても行きたい人がいたら止められないし、止める権利はないわけなんですよね。

オウムに行った、現在死刑囚の人達らは、ほとんどがまるで官僚のようなエリートで、細かく見るとすごい高校や大学の中でもさらに優秀な1割の中に入っていたりと、普通で考えたら将来の選択肢が多い人達ですよね。スポーツなどもやっていて、人あたりも良い人が多かったそうで。

でも彼らには社会に居場所がなかった。本来、戦後の日本はこうした若者を求めていたのに、その社会は彼らにとって理想とはかけ離れていたのではないでしょうか。

そうなると前後の日本教育、日本の社会のあり方に問題があったのではと思います。

うりさんは、「何が(かれらを)惹きつけているのか」と書かれているけど、今の私達の「世界」に惹かれるものはどれくらいあるのか、と私は思ったりしています。私はかれらのように色々真剣に考えなかっただけかもしれない、惰性でこの社会にいるのが当たり前と思ったのかもしれない…とか。もし私が何かに惹かれても社会的な立場を捨てて、全財産も捨てて行きたいようなところは私には多分ない。でもこの社会が大好きかといえば別にそうでもない。

今の日本の若い人達は不安でいっぱいではないかと思うんです。戦後は物がない、インフラもない中で、良い生活をするという目標や希望があった、科学や将来への明るい思いもあった。そして豊かな生活が当たり前となり、バブルで人の醜さとか、消費社会、資本主義などへの嫌悪、疑問も生まれた。それだけ余裕ができたという事だけど、それだけ心の空虚感や絶望も生まれた。

そして現在…。経済のグローバル化によって、外国の政治経済がもろに日本経済にも波及するようになり、富が富を生むが、格差は広がり、資本主義そのものへの疑問が最も大きくなっていて、かといって新しい社会システムが生まれる要素も感じられない。でも社会を動かすシステムというのはある時期には変わらなければ破綻するだけになってしまう。

それでオウムに行くというのは別ですが、社会経済から何から、行き詰ってるのが実感としてわかるわけです。90年代はそれで特に優秀な頭脳が海外に行ったり、あるいはオウムのような所に行ったりした。日本社会にとって有用な人材が日本を選ばなくなったんですよね。そして今は、人の意識がフラットになっている感じで、様々な人達がオウムとかに行ってるのかもしれない。

それに対して、私達の社会は、「こっちにいるのが絶対に正しい!」と言えるものは持っていません。事件は論外ですが、ああした所に行く事自体は責められないんですよね。そしてサリンなどなどの事件の実行犯等になってしまった人達も、元はテロを起こす為にテログループに入ったのではないのだから…。

そこに悲しさがあるんですよね。
Posted by みけ at 2012年07月08日 18:53
>今の私達の「世界」に惹かれるものはどれくらいあるのか

ですねー・・・。
何でもあるけど、何にもない。
という感じでしょうか。
ただ、用意された世界で漫然と生きてて、気づいたら歳を重ねている・・・。
まあ、それならそれでいいんだけど、それについて真剣に考える人もいることも
事実。

オウムも、最初はこの日本の実態について真剣に考えていて、なんとかしなければ
と思ってたんですよね。
ただそれが、気づけば別の方向に突進してしまっていた。
本人たちは大まじめにそれを信じていたのでこれまた厄介なわけですけど。
Posted by うり at 2012年07月10日 09:04
>何でもあるけど、何にもない

ああ…そうですね。その中で疑問や葛藤があって、オウムがその答えであるとか、意味がある、と思った気持ちはわかりますね…。私達の社会は明確なものを持たずに混乱しているし、生活も堕落している。真剣に考える人ほど矛盾や悩みがあったのかなあとか…。

どこで変節したのか、と思いますね。理想的な場所…を宗教団体として作ろうとしたのだ、として、それが反社会的、対国家、となっていったのか…とか。

あとは麻原の魅力や、人身掌握術とか。色々な才能、能力のある人達がいても、それを使いこなせなければ何もできないけど、彼は適材適所に信者達を配置し、たとえば化学兵器の土谷、ウイルス兵器の遠藤を巧みに煽り、ライバル心を植えつけて競争させたなど、いわれているけど、他の部署などでもそうだったらしく、とにかく組織、そして人間をを効率良く動かす能力に長けていた、というのは事実だと思います。その組織で何をしてを最終的にどうしたいかというのは別だけど…。

この団体は当時、武力クーデターを起こそうとしていたのだから、私は本来、個々の殺人事件ではなく、内乱罪で裁いて検証すべきだったと思っています。そして原発事故の時にも思ったのですが、日本という国家が危機に陥った時、命令、指揮系統がメチャクチャで何もできない、というのはあれから何も変わっていない。

成人してから知ったんだけど、地下鉄事件が起こった時、官邸には情報が入らず、仮に入ったとしても何も対応できずオロオロするっばかりで、当時の首相は、「心配じゃのう」、「わしの任期時には色んな事があるんじゃのう」と繰り返すばかりで何もしなかったといわれている。現場の警察官も混乱していて、もし化学兵器で応戦されたら拳銃と警棒で何ができるというのかというムードが漂っていたというんですね。

麻原は、強制捜査をきっかけに予言成就として事件を起こしたとされているが、実際のところは本人が何も話さないし解らない。でも、もし強制捜査がなければもっと純度の高い、そして大量のサリンを作り、計画的に散布する事ができたし、実際にそうするつもりだったのかもしれない。そうなった時、国が何もできない事はほとんど明らかといっていいと思います。

地下鉄で使われたサリンは、事件の1日半前に、処分して残っていたわずかな原料から大急ぎで徹夜で数人で作ったもので純度が低く、無色透明でもなく、殺傷能力が低く、それでもああした結果を生んだのだという事を、国家防衛に関る人達のどれだけが重要視しているのか、とも思います。

あれは、5人程度の優秀な頭脳と、それを指揮するカリスマがいれば一国家を転覆する事が可能であった、という事を世界に知らしめたという意味ですごく大きな意味を持つんですよね。だから単に個々の殺人として裁いてしまうと意味がわからなくなる。多くの人が検証が必要だと言っているのも当然だと思います。
Posted by みけ at 2012年07月11日 21:36
>「心配じゃのう」、「わしの任期時には色んな事があるんじゃのう」

(笑)
これだけで当時の首相が誰だったか分かる(^_^;)

>5人程度の優秀な頭脳と、それを指揮するカリスマがいれば一国家を転覆する事が可能であった、という事を世界に知らしめた

本当ですよね。
日本の呑気さ、お間抜けさがもろにばれてしまった感じがします。
そしてまた、今も後遺症に苦しむ方たち、この事件によって人生が変わって
しまった方たちのことを考えると、もっと検証すべきだと思います。
Posted by うり at 2012年07月15日 01:28
原発の時も同じで、日本は危機にたいしての対応がいつもその場限りなんですよね。たとえばアメリカが情報をくれても何も活かしていない。

サリンなどなどは、化学知識があって、化学式を知っていて、さらに原料があるから、といって作れるものではないんです。土谷はその化学式を分解し、各原料はこれとして、実際に入手できる原料のこれとこれを使えば作れる、として本当に作ってしまった。それも純度が低いとはいえ短時間で作った(つまり時間があれば高純度のものを作れた)というのはまさに驚異といっていいけど、それをどれだけの人がわかっているか。

サリンは、旧イラクやイランなどなどが、旧ソ連や旧東ドイツ、あるいはアメリカやフランスetcの研究者を集めて、有り余る資金や人材、設備で作ろうとしたけれど作る事ができなかったものなんです。

だから、まずアメリカが最初に注目したのはそこだった。この人物は何者なのか?と。国家として、これは当然の態度だと思います。で、それは日本の高等教育を受けたとはいえ普通の元学生で、それも20代で作ったという事に驚くわけです。

そしてもしアメリカで、それに同盟国で再び同じ事が起こったらどうするか?と調査して検証していく。それもずっと続ける。ようは意識の違いで、事故でも日本はマニュアルで対策を取っているから起こらない、という前提でいくけど、向こうは、万全の対策を取っていても事故は起こる、という前提でいく。その差は決定的です。そして責任の所在も最初からはっきりしているから、問題が起こった時、トップダウンで決断できるリーダーが必ずいる。だから対策・対応ができる。でも日本は……。

日本の大学などで才能のある人が研究を続けられない環境にも思い至りますが…。前にノーベル賞を取った日本人の理系の人々はみんなアメリカで研究してたり、アメリカ国籍をとって研究者になっていた人達だったし。

何というか、日本は何もかも遅いし、ナイーブ(のんき)で、責任の所在をいつもはっきりさせないので、今回の原発事故でも日本文化の特殊性とかいって逃げようとする。どの文化にもそれぞれ特殊性があるわけで、日本だけが特別、という主張は海外からしたら卑怯な逃避にしか映らないですよね…。

当時の総理はまだ純真だったのかなあと思うようにしています。小泉なら、勇ましいこと言って煽るだけでかえってやってはいけない事ばかりやってしまって、あとは逃げちゃうだけだろうし。

95年当時のM総理はサミットかなんかでも「外交は鬼門じゃ」と言って、なおかつイタリアでオリーブオイルで腹を壊し何もできずに帰ってきたけど、ようは総理になってはいけない、人の良いおじいさんだったんだなあと思います。まあ誰がなっても同じ、というのが情けないんだけど…。

で、国家の危機意識ってサリン事件で何も変わってないどころか、もっと鈍感になってるんですよね。そっちの方が怖いんです。
Posted by みけ at 2012年07月15日 16:50
なるほど〜。

ナイーブでのんき、そして曖昧、決断できない・・・というところですかねー。
これって、もろ国民性が出ている気がします(^_^;)

前にも書いたかもですが、「〜の方」って言い方、これも曖昧さが出てますよね。
ハッキリ言わないでぼやかして責任の所在を避けると言うか。
東電にしても現在話題になっても教育委員会にしても、それが全てを物語ってる
ような。

M総理(笑)
大体、総理になった理由というかきっかけもマンガみたいだと思いました。
確か、小渕さんに病床で告げられたとかなんとか(でも誰もいない病室で)
そんな理由でどかっと総理の席に座ってしまうのって・・・と思っていたら
案の定でしたけど(^_^;)
Posted by うり at 2012年07月19日 08:28
何かもう、視点からしてズレてるんでしょうね。国民性はしょうがないけど、国のトップはそれじゃ駄目だもん…。森元総理が総理になった過程だって結局ワケわかんないし。原発事故の時の対応も、「(水かけとか)効果があると信じていた」とかそのレベルの話で終わってるし、とにかく指揮系統がバラバラでパニックになって、それの対応も改善も何もしなくて今日に至る。全く狂気の沙汰だと思います。

アメリカはどうこうとか、それは欠点も色々あるけどやっぱり大国は緊張感が違うんですよね。オウム事件だって、もしアメリカで似たようなのが起こった時に、日本だったらその時ニュースになるだけで、国防に関る人達も関心を持たないと思う。持ったとしてもごくごく一部で。でもアメリカは違うんですね。そして日本と、目の付け所が決定的に違う。緊張感、責任感…。日本はいつも感情的になって逃げちゃう。それが情けない。

大国に文句言うのはいいけど、アメリカが嫌だったら、他の大国は中国とロシア。アメリカと比べてどれだけやりにくいか。日本は守られているし、甘えているけど、こういう国とやりあえるだけの技量も何も持ち合わせていないんだからほんと嫌になりますね。

で、M総理は去年か何かに、自宅周りをのほほん自転車で走ってる映像を見た気がします(^_^;)。
Posted by みけ at 2012年07月20日 20:16
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