死ぬなら1人でどうぞ。 - ぶつくさブログ

2007年06月02日

死ぬなら1人でどうぞ。

本当に、久々にニュースを見て腹が立っている。

母親が、子どもを殺して自分も死ぬつもりで、
結局自分は死にきれなかったという事件。

なんじゃそりゃ。

である。

「自分がいなくなったら、子供が不憫」

と考えるからなのかどうかは知らないが、実際はそんなことはないのだ。
そりゃ、母がいなくなったら、死んでしまったら子どもは悲しむだろう。
だけど、子どもは子どもの人生がある。
生きて行く道があるのだ。
苦しんで悩んで「自殺」を考えている自分とは違う人間だ。

こんな風に、親が子どもをイコール自分と錯覚してしまうのは、日本特有のものだと聞いたことがある。
子どもは子ども。
自分は自分。

どうも、その住み分けができていない人が多すぎる気がするのだ。
もちろん、こんな風に無理心中を図るまではいかなくても。

それにしても「自殺」というニュースが飛び交った1週間だった。

死を選ぶ人はいろいろあるんだろうが・・・だけどやっぱり、私には分からない。
死ぬくらいだったらどこかにトンズラすればいいのに。

それができないもんかなあ。

ともかく。

1人で死ぬのが寂しいとかで集団自殺をする人も。
誰かを道連れにしようとする人も。

ところかまわず自殺する人も。

同じ自殺なら、自分で棺おけでも買って、その中で死ぬとかさ。
だって、発見した人のこと考えたことある?
ないでしょ。
私ならそんな醜態晒すのは絶対にイヤ。

まあ、ともかく。

死ぬなら1人で、誰にも迷惑をかけないでやってください。

ただ。

自分ひとりがいなくなるだけで、悲しむ人、傷つく人、思い悩む人は絶対にいる。

それだけは忘れないで欲しい。



posted by うり at 07:00| Comment(9) | TrackBack(0) | ニュースに一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 欧米などに心中がないとはいえないけど、カルトグループなどに多く見られる感じです。しかしどちらも、自分と他人を一体化しているのかと…。異なる人間が同時に死を選ぶというのは個人的にはよくわからない心境です。上の殺人(=無理心中)については、

 自分が死ぬから子供を殺して良いという事はない。「親の自分が死ねば子供はどうなるのか…」という気持ちはわかるけど、子供の立場からすればこんな迷惑はない。親の都合で自分の存在を消されてしまうのだから…。

 自殺する時には特異な精神状態になっているから、ハタから見ていると、「死ぬ気になれば何でもできるんだから…」とか「どうせ人間いつか死ぬんだから…」とか思うけど、その時、その人にしかわからない事なのだ…と思います。

 成人が自分でそう決める事は、ある意味仕方がないというかどうする事もできない。でも、上の事件のように自分の子供を殺してしまうというのはスジが違う。この母親は今、どんな気持ちなのか…。悲しいです。
Posted by みけ at 2007年06月02日 17:13
この自殺の問題は自分のブログでもいろいろ書いています。
うりさんほど突き放しては考えられないなあ。
たしかに子供を殺して………ってのは言語道断。
けど、みけさんが書いてるとおり「特異な精神状態に」なってしまうものです。
そいう場に立ったら私だってどうなるかわからない。自信はないです。
弱い自分にも起こりうることだ。だから、どうするか?
ッテナ視点で考えたいですね、
Posted by テリー横田 at 2007年06月03日 23:58
みけさん

>自殺する時には特異な精神状態になっているから

そうかも知れませんね・・・。
確かに、私は想像もできてないのかもしれない。
でも、悪いけどあえて考えてあげたくないという感じです。
あと、こういうタイプの人は自分で悩みを抱え込んでしまうんですよね。
本当に誰にも言わないし。
まあ、実は私も知っている人にはあまり悩みは言わないんですけど(^_^;)

死のうと思った人と、そう思わない人、思ったけどやめた人とは死を考えた時に何が違うのか。
そこがポイントだと思います。

私はそれほどベッタリとした人間関係ではないけど、それでも多分、家族のことや親、友達のことが真っ先に浮かぶだろうな。

テリーさん

突き放して、ですか(^_^;)
そうですね、もう腹立ってたんで・・・。
あえて自殺を考える人の立場は考えませんでした。

実際に本当にそういう立場になってしまったら、確かに自分でも分かりません。
考えてしまうと、実際は何も書けないですね。分かんないから。

だけど、このニュースを聞いた後に、また同じような事件が
起こっていたんでそりゃないだろう、と。思ったんです。
私なら悔やんでも悔やみきれないや・・・。

Posted by うり at 2007年06月04日 08:21
 自殺を思い立ち、実行する人と、そうでない人との境界線は意外と薄いものなのかもと思ったりもします。ただ、上のケース(自分の子供を殺害する)は自分は死ぬ事ができなかったのですよね。精神がどんな状態でも、誰かを巻き込むというのはその人のパーソナリティに起因する何かがあるのかもしれません…。

>それでも多分、家族のことや親、友達のことが真っ先に浮かぶだろうな。

 人間には必ず悪の部分があり、その根底には「自分の好きなよう(勝手)に生きたい」という思いがあるのではと思うのです。そしてそれを推し進めていくと、自分の為に相手を傷つけても→殺してもいい、というところまでいってしまう…。では、そうならない為にはどうすればいいのか。月並みな言い方ですが、それは家族や、友達との心のつながりの中で培われていくものなのだと思うのです。その過程で人は、『自分が幸せになる為には、他人の幸せも大切にしなければならないのだ』という事を理屈ではない部分で知っていくのではないかと思うのです。
Posted by みけ at 2007年06月17日 21:57
人は1人ではないんだけど、それを知らないというか気づけない人が多すぎる気がするんだよね。
根っこがないというか・・・。
思春期の頃は、自分ひとりで生きてきたような気がして、勘違いすることもあるけどそのうち痛いほどいろいろなことが分かってくるというか。

ウチにも子どもがいるんで、そういうことを肌で感じていてもらいたいなあって思ってるけど・・・難しいのかなあ・・・?
Posted by うり at 2007年06月18日 22:04
 思春期独特の根拠の無い優越感のがあっても、そのうち「気がつく」と思うけど、中にはそのまま大人になる人もいて、その極端な姿が過激派やカルトの中にある気がします。例えば、「社会が悪い→革命を→テロ」、とか、「社会は堕落している→自分達が救世主になる→テロ行為」みたいな自己批判の無い狭い世界。荒涼としてて無味乾燥なんだけど当人からしたら相手(社会)が悪いからやってるんだという。

 でも実態は『思いやりの欠如』、逆恨みという次元の話だと思うんです。そういう意味で幼い頃からの道徳教育や、公共の場での立ち振る舞いなどをまず親が、そして社会が共に学んでいくというのが本当に大切なんだろうけど、DQN親とか見てるとなんか無理っぽいですよね↓

「家でもさせてないから学校で私の子供に掃除をさせないで」とか「息子が嫌いな生徒を転校させろ」とかありえない事を要求してくる親…そういうのを子供は見て育つワケで、それは怖ろしい…。将来、反面教師にするにしても子供の心にダメージは間違いなくあるわけで…。

 ほんとね、理屈じゃなくて「肌で感じる」という事に尽きるのだけど、自分を取り巻く世界を拒否しても、最後にはその選択の結果を負う事になり、それは悲劇に他ならないと思うんです。そして周りの人も不幸にする。考えさせられます…(__)。
Posted by みけ at 2007年06月19日 20:31
>自分を取り巻く世界を拒否しても、最後にはその選択の結果を負う事になり

ホント、そうなんだよね。
根っこを否定しても、必ずそこにブチ当たる時が来る。
逃げている人はそれに気づかない、気づけない、気づこうとしない人が多い気がする。

ヘンな親も多いらしいね。
私は家庭訪問の時に、いつも先生に
「もう学校にお任せしますから、先生の思われるとおりにやってください」
って言うけど(^_^;)
めちゃめちゃ感激されたことを思い出しました。
親が先生を批判しちゃったら、子どもも批判することになる。
だからと言って、親には学校のように子どもに勉強を教える技術もないわけで。
先生も大変だよね、ホント。
Posted by うり at 2007年06月20日 08:29
私もうりさんの言葉に感激した。なんか先生かわいそうだもん…。ヘンな先生もいるけど、どの職業にだって一定の割合でおかしな人がいるし、疑ってかかって変な空気とばしたら子供にだっていい影響はない…。

 でも子育てって、すごく忍耐と愛情、寛容さ、そして厳しさのいるものですね。お母さんは偉いとほんとに尊敬しています(もちろんお父さんも!)。

 「躾」といちがいにいうけど、そこの判断は親に任されている。酷い親は暴力を「しつけ」などと言ったりし、そうした環境での子供の心は…。愛情が無ければ本当の意味での教育はできない、躾のゆきとどいていない子供はそういう意味で不幸なのだと思ったりもするのです。もちろんそれは運命的なものではない(たとえばバーナード・ショウの『マイ・フェア・レディ』の行儀の悪く、酷い言葉遣いの娘がピグマリオンによって美しい話し方、見事な物腰の貴婦人に変身したみたいに)。

 どのような環境に育っても最終的に自分の選択の結果を受け入れるのだと思います。でもワケのわからない親っていますね。学校への文句を延々メールで送ってきたりとかいうの聞くと頭の中どうなってるんだろとオソロシイ↓
おっと長文申し訳ないです〜(__)SEE YA!
Posted by みけ at 2007年06月21日 23:53
でも、この言葉って、取りようによっては家庭では放棄しちゃうから学校にお任せ!って意味にも取れるなあって後で思ったんですよ(^_^;)

そういう意味ではなく、学校でやるべきことは学校に任せる、という意味だったんだけど・・・。
先生に伝わったのだろーか?とちょっと疑問(^_^;)

どっちにしても、物事はとってもシンプルなんですよね。
いらないことをのぞけば、全てが見えてくるじゃないですか!
親の役目と学校の役目。
この辺が曖昧になるからおかしなことになるんじゃなかろーかと・・・。
Posted by うり at 2007年06月22日 15:44
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